カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

果物がよくて糊な村(Prasat Snay Laa/Prasat Bei Mat)

えー。

あまり碑文の話だと世間の受けが悪いと知りつつ、
これからも碑文の勉強をしていこうと決心しておりますが、
さすがに平日はつらいし、確定申告などしなければなりません(引っ越した)ので

今日はさらりと行きたいと思います。

本日の遺跡

Prasat Snay Laa^ Snayは果物の一種らしいですが、それがよい 寺院
Bei Mat村にありますので別名Prasat Bei Mat これだと糊 寺院 といいます。

この寺院、昨秋に行ったときは見つけられませんでしたが、(てか前回見逃してました)
いつもコメントいただくKI様のリストで別名Bei Matと書いてありましたので
今回はBeiMat集落を訪ねて訊いたら一撃でした。。

後日またご紹介予定の、Banteay&Kdei Ta Keam(Prasat Koul Thom & Touc)や王道の橋たちから近かったです。

アンコーチュム特集が終わりましたら、
グーグルアースで大雑把な位置関係を示したいと思います。それまではAymonierの古地図で
ご勘弁くださいませ。

ではそそくさと遺跡の写真など。

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前にラテライトはあまり見えないところに使っているとかコメントほざいてしまいましたが、
ここも堂々ラテライトの寺院です。

いえ結構思い出せば、けっこうあったんですよラテライト寺院。
ふと思い出すだけでもコンポントム州とかコンポンチャム州、クーレン山に、
コー・ケーも。ああ情けなし。。。

・・・
偽扉までラテライトです。
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・・・
ここは3基の祠堂からなる、とAymonierは書いてますが、
それらが繋がって南北に展開しているって感じでした。
ただしAymonierが見た100年以上後では、祠堂も崩壊してましたが。。。

さてみなさまご安心を、碑文は出てません出てても読む元気がありません。
残欠など眺めてみましょう。

村の子どもとかが、面白がって中央祠堂の壊れた壁の上に並べてました。
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ついでに自分で作った粘土細工も並べてて自慢げでしたがそれは写真スルーして^^;

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ちょっとごついですがテヴァダです。手のひらサイズです。

しかし、
ちょっとサンポット見る限りこの寺院古そうです。

装飾にはこういう固い赤砂岩のほか

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ナーガですね。ちょと素朴なところがいい感じです。

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インドラ神はともかくアイラヴァータですね。

といった具合に黄砂岩も使われており、やはりアンコールより西部によく見られる素材です。

他にも残欠が
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このように集められてました。

この寺院の西側は意外と
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このように平地があり、ここも木造建築があったのかもしれません。

あるいはここは王道の一部ではないかと思いましたが確証は得られませんでした。

この寺院はBei Matの集落から西に300mくらい歩いたら見えてきますが、
やはり環濠があったと推測されるため
遺跡の辺りだけ小高くなってます。

遺跡と村の間にはこのような
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東西に100m南北は5,60mの池がありましたが
この寺院との関連は不明です。
ただし、池の北側に土手がずっと見られまして、これも王道かもしれませんが調べにいけばいいものを
不精してしまいました。

ただこの近辺はまだまだ調査予定ですので次回以降がんばってみます。

とまあ取り留めなく紹介してきましたが、
この寺院の年代の推定は困難ではあります。

ラテライトの組み方とか
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インドラ神とか
デヴァダののサンポットの形みるともう少し古そうですが、新しくても11世紀ではなかろうか、
と思われます。
ただし、Aymonierは、これは誤爆だと思いますがバイヨンと書いてます。

ちょっと今週はあわただしいので更新がないかもしれません。

が、次は2つほど橋と王道とを紹介して、その後

ここら辺最大の見所である、Prasat Preah Phnom

そして昨秋の旅になりますが
先述したBanteay Ta K(e)am、Kdei Ta Kamについてご紹介したいと思います。