Prasat Preah Phnom その2 K.593について(速報)
えらいことになりました。
小心者の私はびびりつつ
CISARKに勝手に図面使ってごめんね、とメールしたら、即レスで
CISARKに勝手に図面使ってごめんね、とメールしたら、即レスで
「うむ、問題ない」とご回答いただきました。
ありがとうございます。これで心置きなく遠慮なく、使わせていただきます(^0^)/。
ありがとうございます。これで心置きなく遠慮なく、使わせていただきます(^0^)/。
それはめでたい。
が、ついでにブログのことを書いて送ってたところ。。。
が、ついでにブログのことを書いて送ってたところ。。。
「消えた碑文を発見しておめでとう。ひいてはお前の名前とブログをCISARKのサイトに載せたいがよかか?」
「いかんですそれはやヴぁかです(;・∀・)
実名さらすのだけは勘弁してください(_ _(--;(_ _(--;。
ついでに第一発見者は私でなくガイドさんですので彼の名前をさらしてください。」
実名さらすのだけは勘弁してください(_ _(--;(_ _(--;。
ついでに第一発見者は私でなくガイドさんですので彼の名前をさらしてください。」
というやり取りをしております。。
というわけで、本日は予定を繰り上げて、いきなり碑文解読モードで参ります。
(今日の記事で書くからと大見得きってしまいましたので書かざるをえなくなってしまいました。
というわけで、本日は予定を繰り上げて、いきなり碑文解読モードで参ります。
(今日の記事で書くからと大見得きってしまいましたので書かざるをえなくなってしまいました。
てわけですいませんがそのようにさせていただきます<(__)>。
遺跡のレンガ塔を東正面から眺めてみると
前列南祀堂(South tower ,anterior)だけ
とこのように
入り口の左側の石壁(left wall of entrance)が外されています。
前列南祀堂(South tower ,anterior)だけ
とこのように
入り口の左側の石壁(left wall of entrance)が外されています。
どうも碑文が記された石柱は、元々この部位にあったものが
持ち出されたと推測されます。
持ち出されたと推測されます。
形状がいかにもって感じと、お分かりになるかと。。。
昨日のPLANで図示しましたが、遺跡の北側の濠への斜面(north slope to the moat)
に、こうやって放置されてます。
http://blogs.yahoo.co.jp/vyadhapuresvara/archive/2008/3/28
に、こうやって放置されてます。
http://blogs.yahoo.co.jp/vyadhapuresvara/archive/2008/3/28
はい丸写ししてみました。
あやしいがまた例によってフランス語から必死の
訳出を。。。
訳出を。。。
Ⅰ 1―2 神への献身を確固たるものとし、災いを振り払うためにS'ivasomaという名の者が(あるいはSivasomaと名づけて?)、
シヴァ神の姿をとる年(800)と 52年シャカ暦、チャンディ(UMA)、イシヴァラ(S'iva)
ヴィガーナパティ(Ganesha)、リンガ、と惑星の図象(?)を建立した。
シヴァ神の姿をとる年(800)と 52年シャカ暦、チャンディ(UMA)、イシヴァラ(S'iva)
ヴィガーナパティ(Ganesha)、リンガ、と惑星の図象(?)を建立した。
Ⅱ 2-4 幸福があなたのためのものです。この業績のご利益が(碑文の)筆者に顕れますように。
民衆の長(脚注:Valadhipa=クメール語でKhlon Vala)が、常に繁栄を考えて、これを享受するために。。。
糸冬
民衆の長(脚注:Valadhipa=クメール語でKhlon Vala)が、常に繁栄を考えて、これを享受するために。。。
糸冬
すなわち、この碑文はシャカ暦852年、つまり、西暦930年に建てられたことになりますが、
この碑文の内容から、控えめに言ってこの寺院建立と、ものすごく関係があるとみてよいでしょう。
この碑文の内容から、控えめに言ってこの寺院建立と、ものすごく関係があるとみてよいでしょう。
S'ivasomaという名前は、アンコール王朝で言ったら3代目にあたるIndravarman1世王の治世(AD877-889年)に、聖師として登場しますが、彼を顕彰してこの寺院を立てたのか、ギリギリ彼が存命でこの寺院の建立に関わったのかはなぞですが、多分、前者でしょう。分かっているSivasomaの名が出てくる碑文もいずれ機会があれば読んでいって勉強してみたいと思います。。。
ただ、今回は浮かれて先に碑文を読んでしまいましたので、遺跡紹介とほかの碑文の
検証は明日以降じっくりしていきたいと思います。
検証は明日以降じっくりしていきたいと思います。
Merci beaucoup Monsieur Brugier!
追記:建築、及び美術様式との相関での検討もしてみました。
遺跡探訪日 13/Feb./2008
参考文献
G.Coedes"INSCRIPTIONS DU CAMBODGE vol.Ⅲ" EFEO,Paris.1951
参考文献
G.Coedes"INSCRIPTIONS DU CAMBODGE vol.Ⅲ" EFEO,Paris.1951