カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

Vat Khnat の碑文K.259北側について

すみません。
普通にサボって放置して、遊び呆けてました。

というか、結構悩むところであります。
このままいけば、写真がなかなか紹介できず
なかなか苦痛な文章の羅列が続くことになります。

というのも、前回出てきたクメールの女王Jayadeviについてちょっと研究してみたいというのは
私が単に女王様が好きであるというわけではなく、歴史上興味深いからです。

というか、ガチでプレアンコール時代の謎に迫りたいと思っているのですがなかなか難しい。。。

彼女の検証をするためには
彼女を嘆きの女王たらしめた、
西メボンから出土したというK.914を読まないとなりませんし、タケオ(Ta Kaev)州で見つかった碑文も、場所が分かりませんが読んでみたいものです。

というわけで、先日の碑文のほうを私はかなり重視もしてるのですが、ついでと言ってはなんですが
この寺院から出たという、北側の碑文も、行きがかり上読まないとなりません。

どうしたものか・・・
まあいいや。
ってな感じで放置しておりました。

それと私を悩ますのは素直にアンコール地域の遺跡群を紹介したくないという
ひねくれた決意で、どうせ歴史の探訪である以上
いつかはちゃんとした形で取り上げなければいけないのですが
どういう形にしたものか、というのは積年の悩みです。

いやただ、碑文読みまくれば、それでいいのですが。。。

写真も載せないと自分的にも面白くないのでどうしたものか。。。

まあ、しばらくはつまらぬ日々は続きましょうがそれなりに細々と続けて
行きます。
では、早速。。。

犠魯汽鵐好リットパート


ブラウマー神を称えん! そは宇宙の創造者にして、 その父としての適切な美徳をいくつか表わす。

供ゥ轡凜/世両〕?,修鰐襪鮠箸蕕靴世后


勝利はヴィシュヌ神にあり。 そしてその人は戦いにおいて不死身の敵の首の血を飲めり。


インドラヴァルマン この地の王の支配者。


その努力により かの者は宇宙を征服せり。


彼の者は 空を犠牲(を焼く?)の煙で満たしたり。

察ァSa beaute)その美しさ.

次 ? 破損

宗(Son eloquence).その雄弁さは

勝ト爐論こΔ鬚垢戮得服した。

将機(Son serviteur nomme Cri Jayendravarman,verse dans les c’ilpac’astra et promouvant la connaissance).
その奉仕者、シュリー ジャイェンドラヴァルマンという名のものは c’ilpac’astraと知識を深めることに精通している。

将供
彼は演説者(説法者?)として最高の者であった。

将掘
彼は金の駕籠を手に入れた。

将検
彼の子供?は彼より少なからぬ長所があった。

将后
彼の配偶者に対する献身、その女性は 火神アグニと結婚したSvahaに比せられる。

将此ァ船凜.襯泪鵝 王のお気に入り、称えて

将察
Lokanathaを称えたファンデーション(いつも財団とか基金とか訳しているけどいい訳ないか。。)

将次イ修旅圓亡悗靴織瓮鵐弌爾凌篩Δ?

将宗ヅ陲澆話蝋?僕遒舛襪箸いΧ芝?函¬鸞、おそらく支援者は天国に行けるという。

供。横押檻横灰メール語パート


.田圃と、神に奉献された2名の僕奴(khn~um.クニョムを使っている)についての言及。
以下原文の一部
Khn~um. 2 ti an~ --tai Kamvrau(名) tai Kam---・・・y ta V.K.A.・・・

tai Kamvrauと、tai Kamなんちゃらという人

(24)◎//ta-gi roh()...........rajya vrah pa-da dhuli jen’ V.(25)K.A. ta [stac] dau -----gi an~ ta jmah
Lon~ Kse(26)tra dun~ sre neh----------- dravya an~ dun~ sre(27) sru 20 vosdi 1 ma-s.................vyar neh(28) sre ta roh ..................kamraten an~ c’ri loka(29)natha.....................tai lan.ga-y ...tai (30) ...........(ruine)......... (31) sre ........vrah ......
聖なる王、・・・V.K.A.王はdau(行く?ここら辺が原文が分からぬつらさよ)・・・
この田を買うlon~ Ksetraという名の者はここにいます。20(単位の) 田、1vodiの
・・・~の金 2、 これらの田圃は、 V.K.A. Cri Lokanatha。。。
以上  って??

以下破損。34行目の終わりにこのvraiなんちゃら(いみふ)、35行目の末尾に lon~なにがしかといった人名の記載があったようだが。。

研究課題のメモ
前回の碑文でここの祭神がV.K.A.Lokanathaというヴィシュヌ神らしいことは分かったが、
当然、前回出てきた碑文が言及する、7世紀末から書かれた10世紀半ばまで変わらず信仰されていた
ので、この碑文が書かれたと思しきインドラヴァルマン1世の時代、つまり9世紀後半辺りでも
同じ神様が信仰されていたことであろう。

気になるのはジャインドラヴァルマンという名の人物であるが、ちょっと調べたら分かると思いますが
保留にしておきつつ。

この時代が9世紀末として、僕奴のタイトルがtaiとか使われているものの、一般名称としては
khn~um.
つまり、ああカンボジアって身近な国だなあ、と思わざるを得ないことに
現代クメール語の一人称、クニョムとおんなじ、訳もまんま「僕」
だ、すでに出現していることが分かる。いや、もっと前からあるかもしれないけどw。

あとはこの、多分石扉であったろう碑文のあった建造物が、もはや痕跡すらないが、いつの時代に
建てられたものか、というのがなぞであるが、
あまりに間が空いて記憶のかなたに飛んでいってしまいそうなので再確認すると
この遺跡は多分、Jayadevi女王様の時代にはすでに寺院が建立されていたと見て間違いない。

けど碑文の建物がそのころのものはもはや知るべくもなし。。。

ってか碑文どこに行ったのか???

いやまだ、いろいろ検証するべきことは多々ありますが、今しばらくは素材提示に徹するしかないかなと、も考え中であります。
というわけで、かなり不定期になりつつ、
次回はちょっと
西バライ周辺のプレアンコール時代の遺跡の残りいくつかの、
写真の出せる遺跡を見て、それから西バライの碑文K.914に参りたいと思います。

やっつけ仕事の感は否めない。。。

参考は前回同様です。