カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

Prasat RoluosとPrasat Phnom Rungその1

はい。
元のペースに戻ります。

というわけで、また写真を主体に参ります。
今日と明日で、今度は西バライ北方にあるプレアンコール期の遺跡
Prasat RoluosとPrasat Phnom Rungについて紹介いたします。

いつものグーグルアースです。
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ただし、位置関係があやふやなところもあります。
結構迷ったし、後で見直してもわからないですね。。。

さて最初にPrasat Roluosですが
このRoluosという言葉は アンコール初期のロリュオス遺跡群でおなじみかもしれませんが
けっこうあちこちの遺跡で同じ通名のものがあります。
意味はカンボジアのツタの一種です。

ここの場合ツタというより藪に絡め取られてなんのこっちゃ。
水浴びしたりして遊んでる子供たちに怪訝な顔されつつ、炎天下の枯れた田の中をうろつき
やっと着いたのがこんな感じです。
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マジでココ?
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ちょっと小高い丘状になっているので、ここでしょう。
藪の中に突入してみるとレンガ塔の基盤のようなものが残ってはいます。
しかし、行く手をさえぎる藪に入って絡め取られた時点でHPが半減って感じですw。
他に何か。。。

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白砂岩の、多分塔の入り口の踏み石です。
こっちは南斜面で急勾配で下ってまして
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なるほど、Puok川に面していました。

さて、ここについては時代の同定も困難ですが、
レンガ塔であったこと、とあのステップの石の様子を見て
少なくとも10世紀以前の遺跡であろうとは思われます。
しかし、それ以上は分かりません。調査もあまりなされていないようです。
それでも、ここは
私的には、西バライ西側の、プレアンコールからアンコール最初期にかけての重要な場所
に含まれる遺跡であると、重視しております。

何せ、西バライ南側には、私が行っただけでも、Vat KhnatとPrasat Ak Yumといった
7世紀後半の遺跡があり、北側にはこの後紹介するPrasat Phnom Rungがあります。
さらにひつこく言いますが、その中間地点である西バライから、714年銘の、K.914が出ています。

ただ全容を知るには、
とんでもないことですが西バライを干して発掘しないと分からないかもしれない、などと考えております。ハイ無理です。
でも、こうやってグーグルアースの衛星写真が、われわれ一般ピーポーにも閲覧できる今日この頃、
貯水池のの中になんとなく条里を見ることは可能でしょう。
これ近年の田畑の畝の跡といううわさもありますがw。

さて
では次に、この遺跡の若干北北西にある、Prasat Phnom Ruong
について、今日はさわりだけ出しておしまいにしたいと思います。
プラサートプノムルン、はいタイの遺跡を思い出しますね。
多分同じ意味か?Ruongは洞窟の意味のようです。しかしどこに洞窟があるのかは???
Kampot州にある同名寺院は確かに洞窟寺院のようですが。。。

さて、どんなようすか?
Phnomとつくくらいなので、まあせいぜい数メートルの小高い丘の上にあります。
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あがってみてびっくり
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台地の上なのに、これは間違いなく、環濠に囲まれていたようす。
カルデラ湖の様相???
そういえばタイのほうは火山のあとだったとか。。。

でも、まあカンボジアのこの地で火山にしては小さすぎるし、ありえないかと。
ともかく真ん中めざすと。

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やはりプレアンコール時代の遺跡のようです。

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大き目のリンテル。未完成なところが意味深です。
時代は、大体プレイクーメン様式でよいかと。
8世紀前後と見ました。

明日もこの遺跡について紹介いたします。

いやAymonierの英語版どっかやってしまいました。これが更新途切れている理由なのですorz.
フランス語読みたくねぇ。。。