カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

Toek Chou lost in location

さて今週末また旅に出ます。が短いです。
しかも、今回は大人しめです。

今回はとても旅をする心境ではないのですが、センチメンタルジャーニー。
下手すればホテルに引きこもってうだうだと過ごしそうです。

それもまた一興かもしれませんが。。

勝手にやってろと言われそうなので
本日は、前回ちらりと書いた通り、碑文も読みつつ遺跡紹介いたします。

前回までPreah Netr Preah 辺りをうろうろした感じでしたが、今回も
その辺りで、と言ってももうシェムリアプ州Kralanhに近い、Toek Chou
についてです。

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グーグルアースからです。
赤く囲んだところで、訳が分かりませんね。
ちなみに目ざとい方は、遺跡が一杯写ってるのを見つけられたことでしょう。
この辺りはじっくり回ってみたいものです。

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CISARKさまサイトより寸借、いえ引用させていただきました拡大図です。

この微妙に東西軸が傾いてますが、現代の寺院が建てられているこの正方形の一帯が
Toek Chouです。が

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お寺の中はこんな感じで、遺跡が見つかりません。雨季で雑草に覆われていたのも
ありますが。。。

CISARKの写真ではレンガ塔の基礎が露出してるのもあったのですが。
それと定番のネアク・ターの祠にいろいろと。。
これが見つかりませんでした。
意外と広いのもありますが。。

それでも、遺物らしきものはちらほらと見つかります。

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それらしきものが見つかりました。屋根に乗ってた男神でしょうか。
あとはそれらしき池です。
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うろうろしましたが、また日が暮れてきましたし、
中々見つからず、僧房の坊さんも若くてイマイチ何も知らないご様子。

Aymonierの記載も実はちらりと書いてあるだけです。
「Toek Chouの村の西に明らかに人工的な丘があって、Kouk Kantoutとよばれ、
古代の寺院があったことを示す石や石像の破片が落ちている どうも軽い素材で寺院が建てられていたようだ 云々」

そしてここから出た碑文についてもちらりとしか書いてません。
「CriIndravarman王の名前の他はほとんど読み取れない・・・」

これではなんですので、Coedes先生の解読したところによると
K.217
[vrah Vidyakara Na-rado は聖なるCri Indravarman王の財団のために提供することを国家宗教のもとに命ずる・・・」

ということで、なんとまあこの碑文から見るに13世紀の話のようです。
もっと古いかと期待してたのですが。
レンガ塔のあととかはなんだったのでしょうね。。
もしかして古い遺跡だったのかもしれません。
碑文だけが新しいということで。


えー碑文読んでみましたが

スイマセン手抜きです。

ではまたですね。

参考文献
1.Etienne Aymonier ”Le Cambodge.Ⅱ”
English translated by Walter E.J.Tips "Khmer heritage in the Old Siamese Provinces of Cambodia"
White Lotus,Bangkok1999
2.Coedes”INSCRIPTIONS DU CAMBODGE Ⅶ”EFEO,Paris  pp43-44
3.Coedes”INSCRIPTIONS DU CAMBODGE Ⅷ”EFEO,Paris