カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

せっかくなので東京編

えー少し改心しつつ東京にふらりと参りましたからには、ネタをご提供したいと思います。じつにつまらんです。


アジア館は3年間の改装中。去年からだったのであと2年。
その間しょぼい展示物でお茶濁しです。

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自信ないですが多分Bakheng様式の女神のトルソーです。Ko Kerとも迷いましたが
瓔珞とサンポット、腹の妊娠線で判断しました。10世紀初頭というところでしょう。

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見る人が見ればワクテカですが、まあ一般的にはスルー対象の
博物館の説明ではリドヴァン、すなわちフィリップグロリエのいうプレアンコールからアンコール初期(厳密に峻別していない)までの、いわゆるワインの澱のような色(実際ワインの色でもいいと思うが)をもった、
初期アンコール陶器。


でもこの形状を見ると、リドヴァンよりは若干時代が下がってアンコール王朝期に突入した9~10世紀の物でしょうね。照明があれですから、赤黄色っぽくしか見えません。

ちなみに白釉がかかったりしているけどこれと全く同型のものは、名高きBoeng Mealea(メジャーになりましたねここも)近郊の窯跡So Say(ソ・サイ)からけっこう出土しています。
ここもメインは9~10、11世紀までの窯跡と考えられてます。

追記:酔っ払って書くと意味不明ですいません。
大体これは陶器の一部分でしかないです。ご存知の方はご存知でしょうけど、ラッパ状の口が上部についている盤口瓶ですね。

それにしても出土地不明のものですのでフランスも適当な物を送ったんでしょうかね。。
(追記:友好的というよりは日本の無理強いでもあったでしょうが、EFEOも内心面白くはなかったでしょう。ここら辺は遠い将来又検証して見たいと思います)

・・・

えー他にもまあ皆さんにとっては常識であろうクーレン窯のしょぼい合子など飾ってありましたが
これらは全て、日本の1941年の仏印進駐と、ナチスドイツによるフランス占領と傀儡政権樹立による、フランス極東学院と国博との交換によるものであります。
この頃戦時下にもかかわらず、時ならぬアンコールワットブーム(第2次)が日本に起きていたようです。
日本軍はシェムリアプはもちろん、トンレ・サプ西岸のPursatにも進駐してPursatでは現地人を使役して
(一応日当出してます)飛行場建設したりしています。


正直東京でクメール美術見るなら国博よりも白金台の松岡美術館のほうがなんぼかましかもしれませんね。あとは知らないので東京での情報あればご教示下さい。

おまけ
ガンダーラですが。
ブッダストーリー
http://blogs.yahoo.co.jp/vyadhapuresvara/37672260.html
でアンコールのがなかった分。
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摩耶夫人の右脇から生まれるお釈迦様。

これ見てたら中学生の女の子が母親に「何で右脇から生まれた何で右脇から生まれたなんd(ry」と執拗に迫っていたのが印象的でしたw。
お母さんらしき方が困ってましたが、横からいうのもあれですのでそそくさとその場を去りましたが。
おうちに戻って親子で仲良く調べられただろうと、期待しますw。


まあここで説明すると、単に普通の人とは違うから普通の生まれ方ではなかった、というだけですけど。
しかし摩耶夫人このとき御歳45歳、多分この出産がたたって釈迦出生7日目になくなってしまいます。
このことも右脇から生まれたという伝承の、つまり難産の象徴という意味があるとも考えられます。