カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

Phnom Krabas(Kao Phu Fai) no.936 IK.397 最終回

えー。
やる気が切れないうちに宿題を残さないように、この山のことを今日で終わらせたいと思います。
が碑文についての自分用メモなので、スル―推奨しておきます。
写真はありません。

現物がin situであるのかどこかに収蔵されたのか、行方不明ですがこの山にかつて建立されていたという、レンガ塔のドアに記されていたという碑文K.379について言及しておきたいと思います。

K.379のあった場所は昨日書いたとおりですがそのレンガ塔の南面の右の壁と、セデス先生は書いてます。
まあわたしゃそのレンガ塔のありかすら把握できなかったのでなんともですが。
少なくともその当時は現場に放置されていたようです。

その文面ですがセデス先生は10行と書いてます。Aymonierの時代からさらにすり減った、わけでもないでしょう(最後の一文は同じ故)。
といいつつ12行まで解読されてますけどw

ともかく、10行のサンスクリット碑文で、4行がシュローカ(祈祷詩)と2行の散文からなると書いてます。
10ないし11世紀の崩し字体の文字だと。そしてエイモニエによる解釈を書いてますが(最初が9で最後が祭文という)、

碑文(の文法、多分)はえらく不正確で、そのあとの文はとても訳せたもんじゃないが、呪詛の態をなしている。と物騒なことを書いてます。散文の中心部は限られていて、要となる4点や土地の名前がはっきりせず残りは解読できない。

とのことです。

どうしたものか。

とりあえずサンスクリットの原文を適当に写しておきます。
文字のあとの.は本当は前の文字の下に _は本来文字の上につくべきものです。-はスペース
ただのuと,∪は何か文字があるらしいが読めないらしい。

Ⅰ節
1---
2uu -n.ya∪^??i_n.n.a-nam.     punah.samaka_rapurvvavat
3tat trasad amaren.n.atti     dvidunam. purvaka_ran.a(m)
4ye ta_ny apraharan.t.i_ha     pi_d.ayanti vana_ni cca
5te ya_nti pitr.bhih sa_rvve    rauravadyes.u ya_ta(nam)
6??ata??atttasahasres.u        hy annaroccha_ti ki_miham
7tad aha_ryyan. nr.pena_pi     kim utah. svattava_ndhavaih.
8lopayanti tac ca drvyam.     narakam. pratipa??yate
9avi_cinarakam. ghauram.      sagottrakulava_ndhahava_h

10purvve bhu_rilin'gapura??avda_t daks.in.e------ 11pa??cime
candrapuraja_ -a_t uttare traya
12om. nama?? ??iva_ya

はい。サンスクリット自体サッパリわかりませんけどこれでセデス先生終わってますので余計謎です。
incoherentな呪文なんでしょうかこれは。
しかし目を凝らして見ると現時点の私程度でも、リンガプラとかチャンドラプラと言った、多分実際の地名というよりは神の住まう地なんでしょうけど、そういうのが見て取れます。

それと最初の9の比喩についてもこれではちょっと分からない。

なんだか分からないことだらけですいませんが、これ以上話の進めようもないのでこれくらいにしておきます。

といいつつ、本が見つからないのでPDFでInventaire descriptif des monuments du Cambodge. Tome 2 / par E. Lunet de Lajonqui??re,...
を見てたら、やたらこの遺跡について、Aymonier以上に詳しく記しています。

ここでは山頂のテラスについて書かれた図のみ引用しておきます。
イメージ 1
 
はっきりと読めませんけど。

追記;復刻本見て訂正しましょう。ついでに画像加工しておきましょう。

右の□がFondationと書いてる様子。その中寄りの長方形の部分こそがPrasatとあります。
なんだかわけのわからないひも状の絵がどうやら自然の砂岩の壁を表しているようです。
そしてそれに囲まれた長方形の部分がSra と書いてあります。これがSara Naam Daam Boran
なんでしょうかね。

「追記 :てっきり上が北かと思ってましたが右が北ですねw。

てことはあの藪の中に遺跡があったのか?
そこらへんも入りこんでみて、CISARKさんのサイトでは健在だった看板の、残骸も見つけたがとてもレンガを見出す状況にはなく、さらに蚊に刺されてはい死んだ今死んだと思ってたのだが。(3日後に災難が降りかかる)

しかしそうなると、あの自然石で組んだ枠も、ラジョンキエールの時代にはFandationとして既に存在していた可能性が出てきた。一か所ではなく、小さな囲いもまだ手前にあったのだが。
しかしあれがPrasatの一部だとすれば、相当に珍しいかもしれない。
といいつつ、この自然石を積み上げた壁はそのあと見た遺跡でもいくつかあったような気もする。」

さらに追記:あの石を積み上げた囲いのもう少し南側の、砂岩で囲った場所の写真をうp。
ここがPrasatになるのだろうか?位置的にはこの地図に近いがもう少し東より、の感はある。CISARKさんの写真で見たようなレンガは全く見当たらなかった。
イメージ 2
 


ラジョンキエールの記述をみるとかなりいろいろ装飾があったようで、CISARKさんのサイトもそれを引用しているようですが写真はないので全てどこか行ってしまったのでしょう。リンテルもあったようだし左右にガネサガルダが彫られていたとかもう読んでるだけでたまりませんが。。

長いのでまたいずれ再訪したときにでも、全て訳出して、ついでにWat Sphannaratのリンテルを見てご紹介することをもって、宿題としておきます。

うんめんどくさくなっただけですけどねw。


参考文献およびサイト
1.E.Aymonier le cambodge Ⅱ 201P、Ernest Leroux,Paris ,1901
英訳は
Translated by Walter E.J.Tips ”Khmer Heritage In Thailand" White lotus
2.??tienne Lunet de Lajonqui??re"Inventaire descriptif des monuments du Cambodge II "
復刻版,CEDORECK,ともに169-172P、2001

1.2.どちらもpdfで公開されてますので。
http://www.lexilogos.com/cambodge_carte.htm
にてご覧ください。このサイトにはお世話になりっぱなしです。文献の宝庫ですわ。

3.G Coedes "INSCRIPTIONS DU CAMBODGE Ⅵ”213P、EFEO,Paris ,1954