カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

Prasat Ta MUaen Thom 2

カンボジア西部、シェムリアプも含め大洪水のようです。
ようつべにも動画アップされてますがSivotha通りなど大変なことになってますね。

でも行きますが。

さて前回に続いてTa Muean Thomですが
到底2回で終わる内容ではございません。というか遺跡について全然触れてません。

ちゃんとやるならじっくり調べ物をしつつしなければいけませんがそんな時間がありません。
かなり仕事と旅の計画でてんぱってます。

なので今回はその時の見物の様子など振り返っておくだけにします。

というのも

2011年2月6日に私が訪れたあとふうみん様サイト(下記)のBBSを見るに翌日立ち入り禁止になったようです。
そして4月になってここと、幻の寺院と言われるPrasat Ta Krabeiにて銃撃戦が勃発して死傷者がでてしまいました。

あの悲しい紛争の直前に行った人間の一人として、多少なりとも現地の様子を記しておくことに
意味があるかもしれません。



まず軍人さんがついて回ったことは前回も記しましたが
イメージ 1
 
まあこんな感じです。見切れているのはわざとであります。

そのあと主祠堂などみているとカンボジア人ぽくワイシャツにスラックスの青年がやってきて話しかけてきました。

彼の写真はないです。といいますか前回の写真で小さく写ってますが。

東祠堂と主祠堂をバックに自らを記念撮影したかったようでこのとき唯一の見物人である私に声かけてきたのでした。
私が日本人と知ってかなり安心したようですが。

私はタイ側から入ってきて、まさか民間人のクメール人と会えるとは思いませんでしたのでかなりうかれてました。
なので練習とばかりクメール語で話しかけてましたが彼はかたくなに英語で返答してきます。

前日スリンでPreah Vihearでの紛争で死傷者が出てたことを知ってましたので彼に聞くとやはり
自分がクメール人と分かれば危ないのではと心配だと言ってました。

まあ心配ないだろう。と私はのんきに言ってましたが当事国民である彼らにとっては緊迫した雰囲気だったのでしょう。

しかしそんな状況でも聞けばわざわざプノンペンからバイク飛ばして遺跡を見に来たといいます。

遺跡が好きなのだと、しかしそういう仕事ではないと言っていました。この遺跡の下にあるほかの遺跡など(Banteay Ampilなど)について聞くと行ってきたというのでうらやましいことです。こっそり国境越えて降りてみようかとふと思ったものの自重しつつ。

  私「実際はここはカンボジア領ですよねーw」 
  青年「・・・」
などととても楽しく話しをして写真など撮っていたら突然タイ軍人さんたちが一斉に鬨の声を上げた。それはかなり突然で大きかった。
クメール人の青年は首をすくませてあたりを見回した。かなりおびえているようだった。

どうやらタイの挑発はこのころにはもう始まっていたようだ。
可能なら彼をタイにもう少し食い込んだPr.Ta MuaenとTa Muaen tochに連れていけたらと思ったがリスクがあると思いやめた。これらをこの後見て回るというと無念そうだったのが痛いほど分かった。


彼はこのあと行けたらPrasat Ta Krabei(タイ名 Ta Kwai)に行くとのことで今度はこちらが無念で仕方ないのだが、気をつけて、と別れた。

カンボジアの人たち自身が自分たちの遺跡に興味をもってはるばる探訪する時代になってよかった。
と同時にタイとカンボジアがこのような不毛な争いをすることは、

私の遺跡探訪のためにも是非やめていただきたい。と心から思った。

いろいろ間違っているという指摘はおいておいて。


その後一人でぽつねんと遺跡を見て回ったら今度はカンボジア国境から警察官が上がってきた。
上半身が見切れているのは仕様です。

イメージ 2
 

主祠堂に続く前室のところにあるナンディの、首が切られているのをしきりに指さして
カット、カットという。クメール語でもカットはカットだが。

聞くとお前らタイ人がカットしていった と言いたいようだ。

いや私日本人ですけどというと驚いたようだった。これは喜ぶべきか悲しむべきか。

タイ人がカットして盗んで行ったのだ
と言ってソリ―と言うのでいつもの「問題ない、大丈夫だ」と返しておいた。
カンボジアの警官も出入りできるが丸腰だ。タイは警察ではなく軍隊。

なかなか考えさせられる。

が彼はあまりさっきの鬨の声は気にしていない様であった。Nだと名を名乗った。

N氏が今回の紛争で巻き込まれていないことを祈る。

そういう緊迫していたのかもしれないけど午後の日差しものどかなこの美しかったであろう寺院も
今回の紛争でどうなっているのか。。。

この後私が帰るのと入れ替えにマイカーでおじさんと女の子3人という謎の御一行がドライブできましたっ という様子でにこやかにやってきた。のどかである。場違いなくらい。私もだが。

この時点で確かにまだこの日までは平和だったのだろうと思う。
しかし見かけだけの平和の危うさも孕んでいたその日の昼下がりの一幕だった。



参考

この遺跡についてはイサーンの遺跡のご先達お二方が詳述されてます。

ふうみん様サイト 「イサーンの大地走行2000キロプラス」
http://www13.ocn.ne.jp/~isan/

T.I.様サイト 「タイ クメール遺跡を探し求めて」
http://khmerruins.aikotoba.jp/

どちらも見ごたえがありますね。Ta KwaiについてはT,I,様サイトにあります。

ただし、これらの遺跡は、現在も、タイの情勢が変わったとはいえ引き続き緊迫した状況下にあり、もし酔狂で行かれるのでしたら外務省で渡航の是非を検討してくださいレベルですので
自己責任です。

遺跡そのものの詳細はまた後日。
あまりに更新をさぼっていたので。

今回の旅では近づけるか分かりませんが三度、Preah Vihearを目指します。
カンボジアからならなんとかなるかもしれませんがダメならまたChoam Ksantあたりに参ります。