カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

Phnom Khyang その1

引き続きKampot州の洞窟寺院について述べて行きます。
2つめはPhnom KhyangIK.38です。エイモニエの時代にはPhnom Khchang(巻貝もしくはカタツムリの山)と呼ばれていたようです。今もそういう名で残ってもいるようです、というかこちらの方が正しくなかろうかと思われます。
Kampot州は意外とがんばっていてセメントの道標を主要道路からの入り口に設置しています。
惜しむらくは見逃しがちであることですが。
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グーグルマップでおおざっぱに見て行きましょう。
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山を眺めてみましょう。右上がTuk Measへの道でPhnom Totungなどがある方向です。
衛星写真でご覧の通り円形の山です。

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こんな感じの独立孤峯というか低い山です。
・・・
ご覧のように小学校の敷地からアプローチする羽目になります。
それはすなわち。

小学生がクラス単位でついてくるということです。
ここはPhnom Totungや後日記すPhnom Chhngokと違って整備されてません。
はっきり言って危ないったらありゃしない。

って先生までついてきてますが。

・・・
伊武雅刀 子供達を責めないで
を口ずさみながら梯子に割り込む子供たちを交通整理したり大ごとですよほんと。

とりあえずそれはさておき進んで行きましょう。学校裏の山のふもとは墓地になってます。
これもある意味伏線でありますが。

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こうやって見るとガイドさんだけですが写真を撮ってる私はハールメンの笛吹き男状態です。
・・・
こんな山道です。標高は低いので高が知れてますがそこそこ急斜面もあります。
雨季故滑るのが多少やっかいですがそこまで問題はないでしょう。

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登り切ると中腹にこのようにぽっかりと穴があいていて木の梯子が掛かっております。
下が見えないくらい暗いです。ここを降りろということです。

ここでガキども もとい学童のみなさんが殺到して我先に降りようとして危ないったらありゃしない。
どうも学校の裏ではあるがあまり来ないようだ。それにはもちろん理由があるわけだが。

この木の梯子もそこそこ新しいが朽ち果てて新調したとのことでまた腐れたら危ないと思われます。

5mほど下ると一旦テラスにつきます。
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見上げるとこんな感じです。

ここで到着ではございません。
奥に進むとレンガのエントランスがあります。
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ここら辺は子供たちが学校に戻ってから帰りに撮っております。やはり前回のPhnom Totung同様
入口をレンガで塞いでいたのではないかと考えたくなります。


ここから入ってさらに3、4mくらいまた木の階段を下ります。
創建当時のレンガの段もありますが危険でしょう。というかこれも貴重な遺構です。
本当にこれは珍しいと思われます。
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これも下から見てます。下の方は上から落ちる水に含まれる鍾乳石でコーティングされてます。

{追記しますと、このテラスのレンガのエントランスから祠堂のある穴まではこうやって創建当時からアプローチできるように作ってあるわけです。
それなのに山の中腹の穴から直下にテラスに下りるまで、のアプローチ(道なり階段なり)は、残っていないというか見当たりません。これは本当に不思議です。当時から木の梯子をかけていただけかもしれませんが。現在に至るまで脈々と木の梯子を代々掛け替えてきた、ということでそうであるなら、それならそれでまた感慨深いものがありますが。}


大体上るよりも降りるほうが注意が必要です。だから本当なら
梯子を下りる途中で振り返ると僕の家の灯りではなく祠堂が見えるはずですが
それどころではありません。

そのうえこのように深く降りて行きますので光は届きません。
真っ暗です。時間帯にもよりますが夕方故余計真っ暗です。

なのでよく見えません。
おまけにガキもといお子様たちがチョロチョロしてて遺跡どころではありません。

・・・
続きます。

参考文献
E.Aymonier"le cambodge Ⅰ"P155
Lajonquielle "Inventaire descriptif des monuments du cambodge Ⅰ"P46
これはエイモニエを引用してますが。
Parmentier"l'art Khmer primitif"P115