Phnom Khyang その3
では内部を見てみましょう。
驚くべきことに入口の西面を除く3面にはこのように龕が2か所ずつ、合計6ヶ所設けられていました。
この寺院の外観といい強烈にインド アジャンタのような石窟寺院の影響が伺えます。
インド化という概念はやはり植民地主義の産物でしかないと思われますがインドの影響をダイレクトに受けているという点では否定できず、まだいわゆるクメール独自のアイデンティティを確立するまでの過渡期の産物と考えられます。
この寺院の外観といい強烈にインド アジャンタのような石窟寺院の影響が伺えます。
インド化という概念はやはり植民地主義の産物でしかないと思われますがインドの影響をダイレクトに受けているという点では否定できず、まだいわゆるクメール独自のアイデンティティを確立するまでの過渡期の産物と考えられます。
Semaすなわち結界石、のような石が置かれてましたがこれは後世移動したものかどうかが謎ではあります。
うっすらと神像らしきものも見えますが摩耗しているのか、よく分かりません。
Kampot州文化局の項目でもう少しはっきりしたものを示せると思います。
Kampot州文化局の項目でもう少しはっきりしたものを示せると思います。
祠堂中央は石筍と思しき岩をリンガに見立てて祀ってあります。
天井は
このようにほとんど崩壊することなく屋根まで残っています。
もう一度屋根の上を見ると
このようにほとんど崩壊することなく屋根まで残っています。
もう一度屋根の上を見ると
多分上の鍾乳石から形成された石筍を祀って、そのため屋根に石灰岩が降り注いで塔頭を包み込んでいます。
しかしPhnom Totungよりレンガの組みがきっちりしているためか、浸みこんだりしないで屋根に流れ出したようです。
これは壁から全てレンガでくみ上げる技術の確立の故かもしれません。
屋根など見てみると
今もこうやって屋根からつららのように鍾乳石が育ち続けています。
しかしPhnom Totungよりレンガの組みがきっちりしているためか、浸みこんだりしないで屋根に流れ出したようです。
これは壁から全てレンガでくみ上げる技術の確立の故かもしれません。
屋根など見てみると
今もこうやって屋根からつららのように鍾乳石が育ち続けています。
内部入口の黒砂岩を見てみましょう。
外から見ると右側です。楣石のホゾ等が見て取れます。左もありますが破損していました。
Phnom Totungと比較してむしろシンプルかもしれません。
次で最後です。吹きます。いろいろと。
閲覧注意かもしれませんが。。
閲覧注意かもしれませんが。。