カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

K.46 Phnom Nok(Phnom Chhngok) text only

ちょっと間があきましたが、Phnom Chhngokについてここで出土した碑文について述べてまいりたいと思います。と言ってもいつものごとくセデス先生のまる写しですがw。

解説では、この字体はプレアンコール期のものであり、やはりこの寺院の自然的な特徴としてリンガを祀っている以上、シヴァリンガ、もしくはシヴァ神を祀ったものではあるようですがその名前がはっきりしないとのことです。

ただし、下のまる写しに出てくるSri Utapananesvaraという神様と思しきお方は、Phnom Bayaengの碑文に出てくる神様の名と似ているようであるとのことです。
Phnom Bayaengと周辺遺跡について触れられるのはいつになるか分かりませんが長大になりますので先送り棚上げをいつものごとくしつつ。

追記:ありがたいことにPhnom Bayaengの碑文は英訳が出てます。まだ国際宅配便の箱を荷ほどきしてないので(え、確認してませんがいずれ読むとき参考にします。


碑文は石の両面にあったようで、A面はサンスクリット2行、その下にクメール語9行
B面はサンスクリット4行、クメール語9行、ですが現物が現地にあるわけでもなく拓本もCISARKさんでも公開はされていません。ので本のまる写しに頼るほかありません。碑文についてはエイモニエも触れてますが精読はしていません。

最後にこの碑文は6世紀のものではないかと推定されていますが、となると古クメール語最古と言われる
611年碑文より古くなってしまいますしどうなのか分かりません。この碑文には参考となる時間的な記述はされていません。

K.46
A面

1サンスクリット
(1)[na]mask___u__u ____u-u-
(2)[pr]a-da-t tadarma[k]s?e[tra] ____u-u-

訳? 称賛を手に入れている・・・彼は土地を与えた・・・

クメール語

(3)[ka]mratan an~ sri - - - tra-pdes?vara . . . . . . . . . . (4)[mrat]a-n~
siva kn~um. vrah ku a-lam. Ⅰ ku-cⅠ. . . . . . . . . . (5)- - -v.es Ⅰva- vn'e Ⅰ ku yudhika- Ⅰva. . . . . . . . . . (6)- - - - - la Ⅰ tmur dnem Ⅰ sre - - gui . . . . . . . . . . (7)ton' 20 sla-100 c - - - - la Ⅰ . . . . . . . . . . (8)k - -t - - - - 4 - - - r 2 gi . . . . . . . . . . .(9)neh. tel mrata-n~ s?iva ya[ja]m[a-na] . . . . . . . . . . .(10) - - - - ka- vatt Ⅰ dnah. ka . . . . . . . . . . . (11)s?ri- utapannes?vara

訳?
Kamratan an聖なる--- tra-pdesvaraシヴァ神への信心の業、神に仕える僕奴は以下の通りである。(以下名前+1という書き方で列記されているのはサンスクリットクメール語とも共通)
聖なるku a-lam が1名、Ku c が1名、---v.es 1 名 va -vn'e 1名、ku yudhika- 1名,va・・・
一つがいの牛、稲田、20本?のココヤシの木、100本のビンロウの木、・・・
この Mratan シヴァ神への生贄儀式を執り行った司祭であるところの~は・・・
・・・Sri(聖なる)Utpannesvara(主語か述語かはっきりせず)

B面

2サンスクリットパート
(1)- - - u u - u -uuu ---u--u-
(2)dve ls.etre das?a -u-uuu---u--u-
(3)-d ran'gam. bah.udha-nyava-dikayuta - - ty-u--u-
(4) -tra- jn~a-nas?ivasya vittanicayam.pra-da-d gu - - u -

2(面の)農場、10(不明)・・・多量の穀物を含む・・・Jnanasiva(補足 シヴァ神への生贄の意味では?)の持つ(地名ではないだろう)、彼は多大な富を与える。

クメール語

(5)prada-na mrata-n~ yajama-na pon~ jn~a-nakuruma-ra ta (6) vrah. kamrata-n' an~ sriutpannesvara kn~um ta siy ma-[n'](7)maric Ⅰ ma-n' narasin' Ⅰma-n' srai Ⅰ ta kantai on' gnuh. Ⅰ (8)
on' kum. Ⅰ ku kum. Ⅰpaon ku Ⅰ on' het kon ku Ⅰ on' ma-y Ⅰ(9)on' dit Ⅰ tmur 20 krapi dnem.  Ⅰ sre sare 2 tvon' 20 Ⅰ kaol Ⅰ ku - ro(10) - don' kon ku - - oy nakk pas jnau vrah. kamura[ra-n'](11)[an~] panlas mrata-n~ yajama-na ge ta sag gui ge dau
na[raka](12)kn~um. prada-[na] - - -n' canlek Ⅰ pra[da-]na mra[ta-n~](13) . . . (traces).

Mratan Jnanakumara(生贄儀式の司祭)、そしてPon Jnanakumaraによる聖なる(Vrah.Kammratan.An:VKA)Sri Utpanesvara(補足 神の名であろう)への寄進は:男性の奴隷(3名の名前すなわち)(ta siy)ma-n maric, man marasin,man srai,女性の奴隷(5名の名前すなわち)(ta kantai) on gnuh, on kum, ku kum, paon ku(彼女の妹という意味), on het とこの子供たちon may, on dit,20頭の牛、1つがいの水牛、2sareの稲田、20tvon,1 kaol, Ku ... とku ...の子どもを(というよりこれらの人物が主語か?)
Mratan Jnanakumara(生贄儀式の司祭)の代行としてVKAであらせられるNak Pas Jnau(多分神様だが不詳)に寄進した。これらを盗むものは地獄に落ちるだろう。寄進された奴隷は・・・1(名前だろうが不明)。衣類。Mratanの寄進は・・・。

以下不明。

糸冬

多分記年が破損していつ書かれたのか分からず、また出てくる人物や神像もローカルなもので確定されていないのでいつごろかははっきり分かりませんが、プレアンコール時代の碑文であることは 
pon jnanakumara と扶南からの称号であるponがまだ使用されていること、僕奴のタイトルからも分かります。あとは字体でしょうね。しかしセデス先生の,6世紀の碑文という推定通りになるかどうかは不明です。
ponという称号は7世紀末には使われなくなって来ることと、シヴァ神に対しての尊称称号がmratan
となっていることからvrah kamratan anの称号の基準がまだ明確化されていないようにも見えます。

それと奴隷とされてる碑文に記されたクメール語部分でのリストの筆頭になぜかvrahと称号 聖なる、がついていることでこのことがかなり大きな意味があるかもしれません。つまり奴隷というよりは神の下僕という程度の意味で、実は聖職者でありそんなに下等階級の人ではないかもしれません。碑文のリストに載るということは奴隷のリストというよりは設立されたコミューンに入った人名録かもしれません。ここら辺は本当にいろいろ追求していきたいところではあります。

追記:碑文が破損していたであろうため、サンスクリットクメール語とで奴隷とされる者たちの記録で
数に差異があるようだがこれが別人なのかどうかも含めて要検討事項である。」

いずれにしてもこの洞窟寺院に関係あるのかないのか不明ですがいつものリンガないしはシヴァ神に奴隷や田やココヤシやビンロウといった木、牛、水牛、衣類などの寄進の話です。ここで使われてる単位はどのくらいかはまだわかっていないようです。

どうも寄進者が何人かいてそのおのおのについての目録のようです。
碑文の形式は定形的と言っていいのではないかと思われます。逆にいえば歴史的なヒントには乏しい、ただしこの寺院の規模やその寄進地のコミューンの様子が伺えます。


とりあえずここら辺で終わりますが、次にKampot州文化局を紹介したのち、Kampot州の洞窟遺構群について若干の総括とネタばれと反省と今後の抱負(つまり今回見そびれた)を述べたいと思います。

参考文献 いつも忘れる
1.G.Coedes Inscripitoins du Cambodge Ⅵ P34-36