カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

Prasat Cha(r) Chiren その2

非公開で編集してましたが大体できたので

さてこのPr.Cha Chiren
本寺院の東にこういう形の門というか前衛施設がある構造は、
実はこの記事の前のUtdor Mean CheyのPr.Soengや 名前が似てるけど時代が違うBoeng MealeaのPr. Chrei、今回たまたま行ったSra AemのPr.Sae Pirと同じようであります。

てことは東に大きな池が付随していたのかもしれない。この手の構造は単なるエントランスというわけでなく寺院の祭祀にまつわる何らかの控えの間的な役割を果たしていたでしょうし、通説では祭祀用の衣装に着替える場所と言われています。

その十字型の施設の部分についても少し見てみると、内部は
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こんな感じで東を見ています。
東側から見ると
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こんな感じですわ。
やはりほかを思いつくまま挙げれば、形、規模こそ違いこそすれPhanom Rung,Pr.Neak Buos,Phnom Thom,Pr.Preah Theat Toek Chha Toch,Pr.Ta Muan Thomの下のPr.Chanそして今回のPhnom SandakのPr.Kon Chenなどなどみたいな、本寺院の前衛施設そのものの感じがします。


前述したようにこれらの前衛施設はなぜか四方のうち一方のみ壁で閉じてい(て、それがなぜかだいたい北側である印象、要検証)るという共通性も指摘できるでしょう。


基壇がしっかりしていて高めに作ってあることも一つの共通点かもしれません。
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南側に連子窓の石柱が散在していたのも、南は開いていて光を取り入れるためだったのかもしれません。
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ここから西の本院に向かって砂岩で建てられた回廊ないしは、石柱を立てた参道があったと推測されますがよく見てない私には判断しかねまする。

その「参道」に当たる部分の真ん中あたりに破風の一部が落ちていてシンハが確認できます。大きく動いてないのなら方形の砂岩の回廊型の建造物が十字構造から延びていたとも考えられますがはたして。

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この装飾を見ると大体時代が10世紀ごろかと。

寺院本体へと迫ってみることにしましょう。
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その前にNeak Taとスポアンの木が立ちはだかってますが。
Neak Taには連子窓の円柱の残欠が祀ってあるのみでした。

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このようにラテライトの壁で四周を囲まれています。
東に門があったようですが構造、構成まではわかりません。
入ると
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正面に長方形の前室を持った主祠堂と

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南側にいわゆる経蔵と言われる構造のラテライトの建物が見られます。

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今になって写真見るとw北側にも同じような経蔵が建っていたと考えられますね。

ハイすっかり忘れとりましたw
今日はここまでですわ。