カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

Thma Krae IK.130.02 その2

なんでまたこの遺跡を取り上げたのかといいますと
ここがなぜかメコン川岸から砂岩の岬のように突出していて
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古代より目印になって目立っていただろうと思うとなかなか感慨深いものがあるからでもありますが、
乾季はともかく雨季は水没しているのではなかろうかとも思えます。

それはさておきここからは3本の碑文が出てきてますが
なかなか見つけきれずどうも
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お供えしてあったバナナに注意が行ってしまいここだけだと思い込んだという痛切なるミスを犯したのもあります。しかしやむをえますまい。
あきらめて周囲を見回すと
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このように木で柱を立てたであろう鑿あとがいくつか見られます。
なんらかの建造物があったのでしょうけど跡形もないので木造だっただろうと思われます。

ここはそれくらいの遺構、碑文と付随物しか見当たりませんが
この上を道まで出るとCISARKさんにも載っているNeak Taと寺の中にリンテルの残欠とが見られます。

まずはお寺のほうから
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川から行くと奥にSPK様式のリンテルの残欠がセメントで補修されつつ置いてあります。
CISARKさんの写真から経年のせいかペンキが剥がれております。
リンテルがあるということは必ずこの近くに寺院があったはずです。

Neak Ta
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中にはやはりSPK様式と思しき石柱の残欠が見られます。

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やはり寺院と祠堂があったのは間違いないでしょう。
今の寺の下にあるのか。

と、横の鍛冶屋の兄ちゃんがprasatはあるてかあったというじゃないですか。

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地面に図解してくれる。実際わかりやすい。
が初見では意味不明であろうからグーグル先生に。
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(追記:お寺の正式名称はVat Banchak Sela Thma Krae)

話によると寺の北東の民家がprasatであるという。
これはCISARKさんの情報にもない。
住人の名を聞いて急行せざるを得ない。

てことで続きはまた明日でも。というあざとい切り方ですいませんねえw。