カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

Prasat Nau Thma Krae

Thma Krae(階段状の岩)という名で知られる7世紀初頭の遺跡に寺院の遺物が散在していることからその寺院の場所がどこだったのかと思ったら、鍛冶屋の親切なお兄さんがあっさり詳しく教えてくださり行くことにした。
寺の北東で民家となっていた。ここも世間的には未知でCISARKさんにも記載はないもののひとつである。

大雑把な位置は昨日のグーグルの航空写真で見ればわかると思うが適当に絵を描いてみた。
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適当過ぎて情けない。とりあえずこの図の①→③→②の順にみて回った。純粋に図に番号ふるのまちがえただけである。

寺院の裏手の道を北東に直上してもう100mくらいで着いた。もうちょっとあったかもしれないが近かった。最初のおうちがSさんの家である。道端からもうレンガが露出しているのが見られる。

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家の四周にもレンガが散乱しているが
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家の前の前庭にレンガ列の名残が見られる。この方向をきちんと測っとけばよかったが。
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鍛冶屋の兄ちゃんに聞いた図では③に当たるMさん家も覗いてみたが

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Semaである。

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石扉の一部であるがやや小さめである。

こういう石の遺物はあるもののレンガ列ははっきりしなかった。
Planはここまでは延びてなかったか。
最後に①の隣のやや立派な新しいお家②へお邪魔した(あろうことかお名前聞き忘れた)。

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家の北側にもレンガのデブリというか配列かもしれない。そして家のガレージ
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ちょうどガイドさんが立ってるあたりが中央祠堂と思しき場所で、家を建てるとき井戸、
すなわち盗掘跡の穴ーを埋めたという。

レンガ塔が何基建っていたのかはざっと見るだけの観光客には分からなかったが
寺院の広さはそこそこでレンガの量も多そうだったので何基か建っていたか、もしくは周囲をレンガで
舗装していたのかもしれない。

時代は当然持ち出されて寺やNeak Taに収められたものからThma Kraeの最初の碑文K.122、つまり
Sambor Prei Kuk様式の寺院、時代と見ていいであろう。

面白い話はここからである。
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顔はぼかしているがここの家のみなさんと犬である。そして台座である。神像があったのだろう。

この3番目の家の奥さんが語るに
「この寺院跡に家を建ててから夢にチャム人が出てきた。夢の中でチャム人が「ここはチャム人(=クマエ・イスラム)の寺院だった」というから、この家では豚も食べられないしお酒も飲めないようにしている。」


ここの奥さんたちはクメール人だがここがチャム=チャンパの寺院である以上イスラム化したチャンパの戒律を守らなければならないと、これは夢でいわれたのか本人たちが思ったのかは詳しく聞きそびれたが。

もともとクメール人はチャム人を呪術に長けた民だとみなしているところはある。よってチャム人の呪いを恐れて戒律を守る気持ちはよくわかる。
だがしかしw
この寺院を建てた7世紀にはまだチャンパの人はイスラム化のイの字も知らなかっただろう。だから建てたのはどっちにしろ間違いなくヒンドゥ教徒であろう。だからむしろ牛を食べないほうがいいのではとも思うがw…
・・・
ところがである。

この話は迷信だとか一笑に付すだけではすまない一片の歴史的事実を示唆している可能性があるのだ。

つまり「本家本元」のSambor Prei Kukの遺跡群からKulen山の寺院に至るプレアンコール期の建築物には、明らかにチャンパとの類似性、あるいは一部チャンパが建設に関わったと推測される事例がいくつかある。ここら辺は日本の学者さん(重枝など)も研究していたから既知の話であろう。

だが、歴史の細かいことまで知ってるとは思えない、歴史学者でも歴史マニアでもなさそうな普通の民家のおばちゃんがそういうことを知った上で「この寺院はチャムの寺院だ」と語る可能性は限りなく低いであろう。

夢でここの奥さんがそういう体験をしたことは事実である。そして、それが(先ほどのクメール人がチャム人の呪術を畏怖していることから)無意識的なものが顕われた結果だとしても、それがあながち荒唐無稽とは言えず、ひょっとしたら歴史的事実としてチャム人がこの寺院の建立に関わった可能性があることにおばちゃんの夢が本人の意志とは無関係に結びついている、というこの不思議なシンクロニシティに驚嘆せずにはいられない。
・・・

Mythologicalな(というよりocculticな?)お話の中にも歴史の真実が多少隠されていると思うのでこういうお話が聞けて大変印象的だったのは間違いない。

こういう妄想をよそ様の民家の軒先で茫然と立ちすくんで家人やお子様たちや番犬に遠巻きに見られながら一人でブツブツ言いつつ繰り広げているとこの遺跡にさまざまなるロマンを感じずにいられないわけで、とりあえず今回旅が終わってまず第一報としてこの遺跡を取り上げたわけです。

この遺構についてはカンボジア文化芸術局に調査していただきたいとも思うが、せっかく新築された
お家なのでしばらくそっとしておくのもありかなと思ったりしつつ終わりとします。

追記
いないと思うが訪ってみたい方は前項の航空写真を参考にしたほうが正確であろう。それかNeak Taの隣の鍛冶屋さんに尋ねるといいかもしれない。
家の名前は旅行中の日記のところで①と③の家の方のお名前を記している。