Prasat Preah Theat Khvan Pir IK.130 その4
さて今度はCISARKさんが訪問する前に崩壊、した後にも崩壊してしまったと思しき
北祠堂を見てまいりますが
石のリンテルを見つけることができなかったためつまらない話となります。
さらにいえば恐ろしいことに私この北塔を正面から1枚たりとも撮影していないことが発覚しました。
よってまたわけのわからない接写写真が続きます。
北祠堂を見てまいりますが
石のリンテルを見つけることができなかったためつまらない話となります。
さらにいえば恐ろしいことに私この北塔を正面から1枚たりとも撮影していないことが発覚しました。
よってまたわけのわからない接写写真が続きます。
入口のように見えますがこれは前回の南祠堂に面した南面で、中央にこれも盗掘かなんかのあとにも見える
穴が穿かれているのが見えます。しかし、それにしては写真右側の面が整っているので、もともとこういう造りだった可能性もあります。とすればかなり珍しいかもしれません。
そのレンガ壁の厚みはなかなかのものです。
このようにどっちの祠堂もかなり埋もれていることもわかります。
内部を見てみますと
正面が東面で入口があったはずです。
ごらんのように大木が倒れて壊れた様子も見られます。
正面が東面で入口があったはずです。
ごらんのように大木が倒れて壊れた様子も見られます。
南東から。
内部には台座やヨニがひっくり返って埋もれています。CISARKさんの写真ではこのヨニは立派なもので
裏返しにはなっていませんでしたが。
ちなみにごらんのとおり北祠堂内壁には龕がありません。やはり南祠堂がメインだったのかという印象です。
大木の根の下にも台座が重なって下敷きになってますが
1台はこのように枠の部分にも工夫が見られます。立っていた神像はどうだったんでしょうね。
1台はこのように枠の部分にも工夫が見られます。立っていた神像はどうだったんでしょうね。
北東側から見てますがまぐさと思しき石が落ちてます
このまぐさも
割れてますけど仕口に切り込みが見られます。前回の石扉側面と合わせて考えると、やはり8世紀初旬にしてこの技術はすでにあったようです。
割れてますけど仕口に切り込みが見られます。前回の石扉側面と合わせて考えると、やはり8世紀初旬にしてこの技術はすでにあったようです。
周囲には様々な石材が落ちていますが
次回はここらへんから遺跡周囲、遺跡の聖域について述べたいと思います。次でまとまるか?
どうかわかりませんが。
どうかわかりませんが。