Prasat Preah Theat Khvan Pir IK.130 その5
大分間が空きましたが何事もなかったかのように平然と続きを書きたいと思います。
とはいうものの、昨年あらかたこの遺跡についてのまとめは書いていたのですが、読み返して途中で
とはいうものの、昨年あらかたこの遺跡についてのまとめは書いていたのですが、読み返して途中で
この遺跡周辺について全くすっ飛ばしていたことに気づきました。
よってこの遺跡の祠堂以外の部分を今回ご紹介しておきたいと思います。
よってこの遺跡の祠堂以外の部分を今回ご紹介しておきたいと思います。
まず、この遺跡の特筆されるべき特徴として、かなり大きな土手が囲んでいることです。
CISARKさんのサイトの説明では800x600mの長方形の土手に囲まれているとのことです。
我々が侵入した北西角も土手を超えてでしたがなんとなく、その土手が続いている様子は
伺えます。
CISARKさんのサイトの説明では800x600mの長方形の土手に囲まれているとのことです。
我々が侵入した北西角も土手を超えてでしたがなんとなく、その土手が続いている様子は
伺えます。
しかしそれよりも興味深いのはその北西角、土手の手前に、川底というにはあまりにきれいに並べられた
小石の、道と思しき溝っぽいものが続いていることです。
小石の、道と思しき溝っぽいものが続いていることです。
自然の造形なのか謎ですが何かしら意味があるかもしれません。
さて、内部ですが、主祠堂から東北東に100mちょっと行ったところですが、
このようなものがありました。
2基あります。
このようなものがありました。
2基あります。
上はかまどのようにも見えますがちょっとなぞです。
下はその南側にありましたが石が円状に並べられていたようにも見えます。
思い起こせば昨年紹介したPrasat Preah Theat (Skou)にも距離はともかくこういう位置に
何かしらの似たような遺構がありました。
何かしらの似たような遺構がありました。
最初はレンガ窯かと思いましたがどう見てもレンガは日干しレンガで焼いてないようです。
その割には祠堂からぽつんと離れて、その間にはあまり見かけなかったレンガがそこそこ
ここには散乱していました。何らかの形でれんがも使われていたようですこの遺構にも。
その割には祠堂からぽつんと離れて、その間にはあまり見かけなかったレンガがそこそこ
ここには散乱していました。何らかの形でれんがも使われていたようですこの遺構にも。
後世のものかもしれませんが当時の生活遺構ではないかとも思われます。
もっとこの土手内を延々とうろついたらほかにいろいろ見出せたかもしれませんが、
もっとこの土手内を延々とうろついたらほかにいろいろ見出せたかもしれませんが、
なにせ行きだけで1時間15分ほど炎天下の田畑、原野を歩いております。
そして1時間以上うろうろして写真を撮っております。
帰りも同じだけ歩かねばなりません。
よって、そんな元気はございませんでした。
そして1時間以上うろうろして写真を撮っております。
帰りも同じだけ歩かねばなりません。
よって、そんな元気はございませんでした。
・・・
本当貴重な遺構であると思われますのでここは専門家の皆さんにぜひ詳しい調査を
お願いしたいと思います。
おっと最後に祠堂の南側に残る環濠というか池を忘れてました。
たぶん人工の物ですが環濠ではなく池のようで北側は高くなっています。
本当貴重な遺構であると思われますのでここは専門家の皆さんにぜひ詳しい調査を
お願いしたいと思います。
おっと最後に祠堂の南側に残る環濠というか池を忘れてました。
たぶん人工の物ですが環濠ではなく池のようで北側は高くなっています。
最後に概念図(あくまで、概念です)
を提示しておきましょう。縮尺などは無視です。
を提示しておきましょう。縮尺などは無視です。
相変わらずひどい出来ですが、こんな感じです。池の位置が今一うろ覚えです。
というか全てうろ覚えですが。。