カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

2/10の分

2/10
なかなかネットが不安定でしたので昨日の分です。

本日が今回の旅のハイライトです。このために来たようなものですが、Kratieの食事代の値上がりというか高さに辟易しつつ弁当を仕立ててもらい昨年情報をもらったThmei地区の105集落へ向かいます。

105集落でPrasat Srotという遺跡があると聞いてその1kmちょっと北のPhum Srah(これも105集落の北というだけかもしれない。ちなみにSrahはポルポト時代に作られた池ということで東西で500m以上南北200mくらいあり今でも活用される美しい池であるがそれだけに何とも言えないものがある。このために幾多の尊い命を犠牲にしたのか。)
で地元に30年住んでいる少数民族のおじさんが案内を買ってくれた。

①Lo Srot Srangkae(srangkaeは自生する米代わりの救荒作物 崩れた窯) UNKNOWN もしかしたらPre~Post Angkor?まったく自信ない。
遺跡に行く途中にあった。夥しい屋根瓦の破片と、円形のレンガの建造物。そして個々のレンガは小さくアンコール期のものと比しても小さい。
南側には5mほどの小さな窯跡と思しきマウンドがあった。がこっち周辺には瓦片はあまり落ちていないのが謎である。ほかの陶器は一切見かけないといっていい。西に古い池が付設。

②Prasat Srot(Pros) CISARK未収載 ③の付属物とも考えられるが。PreAngkor
砂岩の囲いとレンガ塔、というよりレンガが1,2層敷いてあるようにしか見えず、基壇はない。こっちが男で
次が女という。小さいほうが男というのは男女平等的にどうなのかと思うが、事実に近いのでしょうがないかもしれない。が、本当は理由がありまとめる際に記します。
・・・
そこから150mほど離れてあった。レンガの寺院の伽藍見て大発見だと思ったのもつかの間
どうみても
③Prasat Lbeuk Sraut(Prasat Srot Srei) IK131.02 でした。

しかしCISARKさんのPLANよりももっと広範囲に東西に付属建造物を見出した。
ここも石の道が非常に興味深い形で伸びておりその東端にレンガの建造物跡を見出した。

帰りに腹が減ったおじさんが南西にある、付属というにはちょっと離れているが明らかに古い時代の土手の深い池に立ち寄り大きなニナのような貝採りに付き合わされる。

おじさんの家で③から持ってきたという、間違いなく古い石の薬研の杵を見せてもらい写真を撮って子供たちにカメラを見せびらかして別れ(今はもう隅々までスマホが普及していてこの反応はもうカンボジアでも珍しくなった)、105集落の、上記ポルポト時代の池近くで遺跡を聞くとあるというがバイタクでしかいけないという。

そこでまた親切なおじさんがバイクで暇な村人を探してくれて乗っていったがまた北に戻って東へ向かう。
バイクで20分ほど粒子の細かい砂にひっくりかえりかけながら結局最後は丘の上なので歩きである。

④Prasat(Toul) Pok Lok CISARK未収載 PreAngkor
少数民族のsanctuary。しかし丘の上に砂岩で一片が1mほどであったろうヨニが多分北向きに置かれ、そのうえにリンガもしくは神像が立っていたのかもしれないが、建造物はなかった模様。盗掘されたようでヨニは割られリンガ、もしくは神像は見えず。しかしそれ故に非常に興味深い。丘の北を見ると木々の間から
、昨年聞いて、行ってみたかったPhnom Gnon(にょん とくにいみはない)が見える。6.7㎞くらい先か。

一旦バイクで村まで戻りそのPhnom Gnonについて聞くと、やはりベトナムさとうきびプランテーション農園会社の中という。さっきのバイタクのたぶんまだにいちゃんといえる年の人がついてきてくれた。会社のゲートに警察まで無駄に常駐しており顔見知りが同行してくれたほうがスムーズで、農園の敷地自体、とてつもなく広く遺跡まで遠い。

⑤Prasat Phnom Gnon 同じくCISARK未収載 PreAngkor

Pnon族のsanctuaryは本当にsanctuaryだった。砂岩の山の上に1基の壊れたレンガ塔。しかし山のふもとの森までサトウキビ農園で切り開かれており、せめてこの小山だけは森として残ってほしいと思いつつ去るのもまあ自分が気楽なよそ者だからだろう。しかし案内のにいちゃんも森がなくなるとちょっと悲しげではあった。

ちなみにサトウキビ畑、全然うまく育ってないように見えた。さらに①の遺跡に行く途中も草色のコンクリの標柱が随所に立っていたがこれもベトナムの会社が99年間土地を借り受けるという境界柱であり、今は森の中だがそこも切り開かれてしまうだろう。

ともあれ、本日の遺跡5か所は③はIKにも載ってはいるものの未完であり他はCISARKさんも未知ですので、帰国後詳述したいと思います。

今回もログが取れている、はずで、かなり正確な位置が記せると思いますが旅行中PCにSDをつなげられないのでまだわかりません。
それと
あと最低4か所はこのあたりに遺跡が眠っていると思われます。

すべて見出せるかどうかは不明ですがまた機会があれば訪れてみたいと思います。

・・・

夜食堂に行ったら昨日までの食費の高騰はなんだったのか、ホテルの裏というかそっちが市場に通じるメインストリートかもしれないがKratie Krong(ふつうKrong Kratieでクラチェ町)というレストランに行ったら味付けもあっさりで値段も昔と同じくらい安かった。一応英語のメニュー併記もあったが地元民でそこそこ繁盛していたのは当然かもしれない。

その後調子に乗って今日は西欧人向けのバーレストランが並ぶ一角の
建物の3階をビアガーデン風に、しかし店の名の通り竹で屋根や壁などで覆ったBambooなんとかという店でコヒーなど飲みながらブログを書くつもりがwifiがあるけどつながらず断念。

なんか昨日の店と違っていろいろうるさいので辟易していたが帰りににいちゃんから「日本人か、クラチェには日本人がいっぱいいる」と話しかけられた。
聞くとギターを教えたりchecker(なんでしょね)の人とかいるという。自分の知らない世界でだれかががんばっているのだとちょっといろいろ感慨深いものがある。

そのまましみじみと川沿いの歩道を散歩するといきなり暗闇で顔もよく見えないおねえちゃんにマッサー?と声かけられたりしてこんなとこにもわくのかとビビって逃げたりもするが、雄大なるメコンの川面に靄のかかった夜闇の中うっすらと対岸のわずかな灯火が浮かんで見えほどよい虫やカエルの声にしばし耳を傾け天頂から覆いかぶさるオリオン座を見上げてはるばる遠くへきたことを改めて思いながら旅情を満喫しつつクラチェの夜は更けていくが、老けていくのは自分でもあることを思い出しては思案に暮れる。