2/11
本日はStong Trengに着きましたがなんかネットがサクサクです。
しかし遺跡的にはあまりなにもございませんでした。
しかし遺跡的にはあまりなにもございませんでした。
Kratie
①Vat Roka Kandal 歩き方に載ってる200年前の木造寺院ということで見学。
①Vat Roka Kandal 歩き方に載ってる200年前の木造寺院ということで見学。
②Tham KraeIK132.02 再訪
今年こそは碑文を見つけようと少しだけ岩に飛び移ってみたが見つからず。
また上の鍛冶屋(というか木工所に併設してるだけだった)の兄ちゃんに尋ねてみたら、「あるときいたことはあるけど見たことはない」という。
目の前に住んでる彼をもってしてもこれだから我々では無理かもしれない。
今年こそは碑文を見つけようと少しだけ岩に飛び移ってみたが見つからず。
また上の鍛冶屋(というか木工所に併設してるだけだった)の兄ちゃんに尋ねてみたら、「あるときいたことはあるけど見たことはない」という。
目の前に住んでる彼をもってしてもこれだから我々では無理かもしれない。
それにしても川沿いの道路が途中崩落してもうどうしょうもないくらい削れてしまっていたところがあった。雨季のメコンの破壊力なのかもしれないが、雨季にイルカ見に行ったりする人は気を付けたほうがいい。
気のつけようもないが。
気のつけようもないが。
その後Kampiでイルカ見物としゃれ込むことにした。が、歴史探訪的にはあまり関係ない。
しかしこのイラワジカワイルカ、いつどこに浮上して姿を見せるか予想がつかない。
イルカなのにやってることはモグラたたきである。これが昔遊び半分に殺戮された理由かと思い当った。
しかしこのイラワジカワイルカ、いつどこに浮上して姿を見せるか予想がつかない。
イルカなのにやってることはモグラたたきである。これが昔遊び半分に殺戮された理由かと思い当った。
さらにKampi急流リゾートでTrei KaekおよびTrei krobai(カラスと水牛)という魚を食べてあまりのうまさに思わずメコン川に飛び込んだのは全くもって歴史探訪とは関係ないので割愛する。
Sambour 再訪しかし。
車でVat Sasar Muoy RoiとVat Preah Vihear Kukの間の道を北上して、
北上しすぎた。
北上しすぎた。
③ちょっと今のところ同定できないレンガ塔が1,2基あったかもしれない遺構。
多分未知のものではないと思われる。帰国後地図とGPSログで確認します。
遺跡などないという村人たちの話が続いた後南に遺跡があるとのことで行ってみたらなんてことはない、
④昨年メコン川側から訪ったToul Yak TampanことToul Kamnop IK137Sambour地区の北端の遺跡であった。
Neak Taのお招きか。
ここに来て初めて北に移動しすぎていたことに気付いたがもう夕暮れ時である。
しかしそのおかげで、なんとなくSambourの土地鑑はできた気がする。
距離感などがだいぶわかったので、また再再訪したいものである。
④昨年メコン川側から訪ったToul Yak TampanことToul Kamnop IK137Sambour地区の北端の遺跡であった。
Neak Taのお招きか。
ここに来て初めて北に移動しすぎていたことに気付いたがもう夕暮れ時である。
しかしそのおかげで、なんとなくSambourの土地鑑はできた気がする。
距離感などがだいぶわかったので、また再再訪したいものである。
ちなみに村々ではヤシ砂糖の最盛期で池のほとりで途方に暮れていたら上から声かけられたりする。
甘いにおいが家々から漂ってくる。
⑤Vat Sasar Mouy Roi IK132再訪
最後にお寺にお参りである。金のパゴダを今年はまじめに写真に収め、まじめにお線香をあげさせてもらい
いろいろと祈りを捧げた。
甘いにおいが家々から漂ってくる。
⑤Vat Sasar Mouy Roi IK132再訪
最後にお寺にお参りである。金のパゴダを今年はまじめに写真に収め、まじめにお線香をあげさせてもらい
いろいろと祈りを捧げた。