カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

Prasat Lobok Srot(Prasat Lbeuk Sraut) IK131.02 その2 Prasat Srot Pros

ではこの遺跡の各施設についてみていきましょう。
本日はこの遺跡Prasat Lobok Srot=本院の南、120mほどにあります地元名Prasat Srot Prosについて述べていきます。
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案内の少数民族のおじさんは遺跡が二つあるといい別個のものと、地元では思われているようです。

正直別個のものである可能性も今一つ捨てきれておりません。しかし、後日紹介する、東参道とその東端の施設、西の施設の各遺構を比較してみるとやはりこれらと同様付属施設であろうと思われます。
名前の由来は地元の人が本院をSrei、つまり女性と呼んでいるのに対してこちらを男性と呼んでおります。この2か所遺跡があると言われていました。

このことからも今回私が見出した東参道および谷を越えた丘の上の東施設は認知されていなかったことが分かりますが。

前置きはこれくらいにして。

遺跡自体は附属施設であるという私の認識通り、こじんまりしたものです。
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若干盗掘ないしレンガ採取の意図をもって掘られたと思しき穴(深くはない)とその横のマウンドですが
その穴に露出しているレンガの層を見ると
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このように1層ないしはせいぜい2層、レンガが敷かれただけであることが分かります。

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ただこのあたりはレンガが敷き詰められていたことは間違いなく

一部は
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このように組まれた痕も見られます。私の愛用扇子は7寸ですので比較のため置いておりますが
それだけレンガ自体が大きいということを示しております。

つまりどうもここはレンガを敷き詰めはしたものの、基壇となる石材は見いだせないようなのです。
ただし
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このように研磨された面を持つ石が一つ落ちてはいました。

ただプレアンコール時代のレンガ塔は小規模のものならレンガを敷き詰めて上にレンガのみで小祠堂を築いたものもあるかと思われます(例 Banteay Prei Nokor Prasat Preah Theat Toch IK109など)。

よってここにも祠堂があったのかもしれません。
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この一帯大体10m四方以上はレンガの散乱が見られ埋もれているわけではないことからも何らかの建造物の存在は示唆されるでしょう。

それと付随施設にしては

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ちょっとわかりにくいですが、これはレンガが敷き詰められた所の東側ですが
中央を石とレンガの混在した土手、周壁というには低すぎるのですが、
並べられていて、奥で直角に西に向かって並んでいます。

つまりこの遺跡は、周りを石で囲まれていたと思われます。ただし北側、つまり本院の側と西側(先ほどの石材は西側に落ちていましたが)でははっきりしませんでした。

この施設の見取り図をお絵かきしてみましたが例によって縮尺は
非常にあやしいものがあります。個人の体感です。
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こんな感じです。この遺構だけだとまだよくわかりませんがいろいろ見ていくと見えてくるものも出てくると思います。
とりあえずこんなところです。

あまり心躍る話しではないですが、次から本院についていろいろ見ていきましょう。