カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

Prasat Lobok Srot(Prasat Lbeuk Sraut,Prasat Srot Srei)IK131.02 その3

いっぺん書き上げた後でロケーションで混乱し右往左往した挙句がこれです。
公開しますが後悔したら更改することになるでしょう。

さて本日からはPrasat Lobok Srot(Prasat Srot Srei)の遺跡敷地内を見ていきたいと思います。

前置きで書きましたが、非常に複雑な構造をしております。
CISARKさんのPlanを引用して先に私が見た範囲こうではないかという書き込みをした図を挙げておきます。

イメージ 1

赤の部分は私が今回探訪してメモしたり動画を見た範囲で修正(改悪でないことを祈るが)した部分で
ピンクの部分はマウンドになって居た部分、しかしそのすべてではなく一部を記した箇所です。
話しを多少わかりやすくするために番号振っておきました。その順でこれから長々と話を続けていきたいと思います。

ただし留意点として、この遺跡、全くの平たん地ではありません。敷地自体後述しますが東に向かってなだらかに下っています。
そして敷地内にも時代の経過のせいもあるかもしれませんが、けっこう内部にも凹凸があります。特に祠堂群の前は竹も茂ってますが凹凸が激しいです。よってピンクの部分は自然の造形である可能性もあります。

ただこのこと自体が、複雑な建造物の組み合わせと相まって、空前絶後なスタンダードではないいろいろとイレギュラーな遺跡となっています。

そのこと自体もなんらかの歴史的な意味を示唆しているかもしれません。

ともあれ本日は、まず東入口の建造物とその周囲についてみてまいりましょう。東は参道も後日述べますが
重要な部分であると思われます。

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東参道側から遺跡全体を見ていますが、中央の石材が集まっているところが東正門の建造物跡です。

参道とはいえ門からしばらくは後述する両側の石列は見られていません。これを撮影した地点から東にまっすぐ参道を示す石列が続いております。
それはとりあえずおいておいて
門の石材ですが
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このようにやや黒いなかなか良質な砂岩が使用されています。
その崩壊したレンガの山の形状から
CISARKさんのPLANと違って正方形に近かったのではないかという印象ですが推測にすぎません。
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そして門という割には基礎のレンガだけでは何とも言えませんが、石材は東側のみに集中しており
遺跡に入る西側はありません。しかも下手したら門と言いつつ東にのみ開口していたようにすら見えます。

ただ石材見るにそれなりに基壇があってこの画面左側の台座らしき石には穴が開いている以上両側になにかシンハないしこの時代にあるのか知りませんが門番なりの神像が安置されていたと思われます。

そして門があるということは周壁もあったのでしょうがここも
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ちょうど木の陰に重なってまっすぐ正門に向かってますがこれがレンガと石まじりの
土手のような、周壁というにはあまりにも低い囲いとなっています。この画像は南から東壁および東正門を北に向かってみています。画面向かって右側が門ですが。

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しかし今画像見返してみて気が付きましたがこの門どうみても周壁から東に出た形で建てられていますね。これもまとめでもう一度建造物のPlanを提示したいと思いますが、修正しておきます。

実際後で見直して気づくことは多々ありますね。

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これは北東の角から北壁を西に見ています。図面で言うと図面に向かって右上角あたりから上辺をみています。勘違いして南側と思ってましたがGPSで確認したら北側でした。

このように、低い囲い、それもどうも余った石材や石、レンガを積み上げたような感じの囲いは前回の南の付属施設Prasat Srot Prosでも見られましたが、どういうことなのか謎ではあります。ただ崩壊が激しくて崩れ去っただけの、ちゃんとした高さのある周壁だったのかもしれませんが、それにしては落ちているレンガや石材の量が、全周的に足りないように見えます。CISARKさんの画像見るとレンガの壁のような
写真もあるようですが。

これは昨年訪れた、ここから南西10km弱の距離のPrasat Preah Theat Khvan Pir(西暦714年銘碑文)が、遺跡専用ではないかもしれませんが高さと大きさを持つ広大な土手を備えていたことと比較されるべき事項でしょう。この遺跡から出土した碑文は西暦781年±1年と、これは検討を要しますが7世紀のものとされています。

悩ましい事項は後回しにして、ほとんど触れるべきことのない②の、遺跡内部の空白地帯について最後にちょっと見ておきましょう。

イメージ 9

これは図面の②の、ピンクのマウンドから③の建造物跡を見ているものです。ご覧のように小高くなっており意味ありげな石の残欠が落ちていますがレンガはあまり確認できませんでした。
自然のものなのか(それゆえなにも建てられなかったのか)人工的な土手状のものなのかは掘ってもみないとわからないかもしれません。
それとよく考えたらこのマウンド2つもなかったように思いますのでこれも最終図面で修正しておきたいと思います。

次回はより建物っぽい話しになる③辺りを見てまいります。