Prasat Lobok Srot(Prasat Lbeuk Sraut,Prasat Srot Srei)IK131.02 その8
書きかけて放置して公開してませんでしたので公開します。続きは多分明日にでも。
さていろいろと迷走していきましたが本日はこの⑥にあたるこの寺院の主祠堂について見てまいります。
南東から見てますがやはりかなり埋もれています。
なかなか紛らわしい構造であるところの前室ですが。
前面南側
前面の北側と前室というか祠堂前に伸びる壁
画面奥の前室壁がやや湾曲しているようにも見えますが。
←は祠堂前面北側です。
いずれにしても
かなり埋もれていたのを後世掘ったのであろうと思われますが掘った目的はちょっとあやしいものがあるかもしれません。
前面の北側と前室というか祠堂前に伸びる壁
画面奥の前室壁がやや湾曲しているようにも見えますが。
←は祠堂前面北側です。
いずれにしても
かなり埋もれていたのを後世掘ったのであろうと思われますが掘った目的はちょっとあやしいものがあるかもしれません。
この壁の装飾を見てみますが
このようにレンガを立体的に組み合わせて何らかの意匠を表現していますがこれが完成形なのかそれとも
さらになにか彫り出す予定だったのかは不明です。
主祠堂んで埋もれていないのはこの前壁とちらりと前回見えていた北面のみです。
このようにレンガを立体的に組み合わせて何らかの意匠を表現していますがこれが完成形なのかそれとも
さらになにか彫り出す予定だったのかは不明です。
主祠堂んで埋もれていないのはこの前壁とちらりと前回見えていた北面のみです。
こちらも同じようにレンガでデザインされた装飾が見られますが統一感はあるもののこれが完成形であったかどうかはなぞです。
これが昨年から紹介したKompong Preah 様式の近隣遺跡Prasat Preah Theat Khvan Pirよりも時代が
下るために徐々に装飾が簡略化されてしまったのか、こういうスタイルなのかはなぞです。ただ以前ご紹介したここよりは若干新しいもののほぼ同時代、プレアンコールからアンコールへの過渡期の寺院、Utdor MeanChey州のPrasat Kuk IK826の破風の部分もレンガを立体的に組み合わせただけの装飾を持っていたことを彷彿とさせます。
下るために徐々に装飾が簡略化されてしまったのか、こういうスタイルなのかはなぞです。ただ以前ご紹介したここよりは若干新しいもののほぼ同時代、プレアンコールからアンコールへの過渡期の寺院、Utdor MeanChey州のPrasat Kuk IK826の破風の部分もレンガを立体的に組み合わせただけの装飾を持っていたことを彷彿とさせます。
美術様式というのは政治と関係していて王朝や政体の創業期や発展期に洗練されたスタイルを見せて経年、衰退、没落とともに簡略化、素朴化、頽廃化していくのは何もカンボジアの芸術に限ったことではありません。
しかしそれだけで話を片付けられるかはなぞですが。
しかしそれだけで話を片付けられるかはなぞですが。
話がそれましたがさらに主祠堂を見ていきます。
とりあえず、この唯一露出している北側の、前室というか前壁ですが
CISARKさんのPlan通り、なぜか主祠堂の幅から壁の幅の分外に出ています。
とりあえず、この唯一露出している北側の、前室というか前壁ですが
CISARKさんのPlan通り、なぜか主祠堂の幅から壁の幅の分外に出ています。
これは本当にレアな構造ではないでしょうか。類例を忘れているかもしれませんが思いつきません。
これにどういう意味があるのかもわかりません。貴重な例でしょう。
これにどういう意味があるのかもわかりません。貴重な例でしょう。
西面と南面はご覧のように
多分崩れたレンガで埋もれてしまっています。
多分崩れたレンガで埋もれてしまっています。
祠堂内部について見ていきましょう。
この崩れた西壁から内部を見ると
ここの内部も内壁に龕があるのが見えます。これは北内壁でヨニが見えてます。北に開口してヨニが飛び出していないか確認してみましたが外からはよくわかりませんでしたが
内部から見ると壁中央下にそれらしき穴が開いているのが見られました。
この崩れた西壁から内部を見ると
ここの内部も内壁に龕があるのが見えます。これは北内壁でヨニが見えてます。北に開口してヨニが飛び出していないか確認してみましたが外からはよくわかりませんでしたが
内部から見ると壁中央下にそれらしき穴が開いているのが見られました。
長くなってきましたので次回に続きますが、あと何回で終わるのやら。