Toul Pok Lok nau Phum Srah 105,Thmei, Kratie
あくまでも使い回しで場をつなぎますが赤く囲ったところです。
緯度: N 12d 36m 2.15s
経度: E 106d 21m 15.35s
標高は不正確ですが標高差は麓の道とは20m位かと思いましたら12,3mくらいのようです。
Srah 集落からプランテーションを周回する道から入って600mくらいのところにあります。
こんな感じですので奥に丘が見えるとはいえ地元の人がいないと難しいでしょう。
斜面に取り付いたら緩やかに登っていくだけですが
丘の最高点あたりにあるもののこのようにわかりにくくなっております。
というのもこの遺跡には建造物の痕跡がないからで、レンガや基壇となる石材が見当たりません。
周りを土で少し盛り上げた中にこのように神像の台座の残欠であるヨニがあるのみです。
ヨニ自体もバラバラに破損しているだけでなくたぶん動かされたと思われ、向きは北西にずれております。
この丘自体土くれで砂岩はなさそうでしたのでどこかから運んできたのでしょうが台座自体も台座というよりヨニだけで厚さは30㎝も満たないようなものです。
ただそれなりの大きさで方形の部分の一辺は1m以上(おおざっぱですが)はあったようです。
石のシャープさは近辺の8世紀のプレアンコール期の遺跡にあるものと同時代のものと言っても
差支えなさそうです。
そしてヨニの中央にあったであろう穴もなんとなくわかるかと思いますがそれなりの径があるので中央に立っていた神像もそれなりの大きさであっただろうと思われます。
差支えなさそうです。
そしてヨニの中央にあったであろう穴もなんとなくわかるかと思いますがそれなりの径があるので中央に立っていた神像もそれなりの大きさであっただろうと思われます。
問題はこの丘にどういう目的でこの台座ないしは神像が設置された、あるいは運ばれたのかですが
まずなだらかな丘とはいえ最高点にある時点で後世の盗掘の際に運んだなどは考えにくいと思われます。
それと、長い年月を経てはいるもののそれなりに土くれで囲ったような跡がみられることからここに最初から安置する目的があったのではなかろうかとも推測されます。
それと、長い年月を経てはいるもののそれなりに土くれで囲ったような跡がみられることからここに最初から安置する目的があったのではなかろうかとも推測されます。
次に建造物がなくレンガなどが全く見当たらないことから木造建造物であったという可能性もありえますが山の上ですので数年くらいしか耐えられないでしょう。それと木造でも礎石くらいはあるでしょう。発掘されないとわかりませんが。おおざっぱに見た感じそのような形跡はつかめませんでした。
ではなぜ祠堂など建造物を立てずにここに台座と、たぶん神像だけを置いたのか。
ありえるとしてもここのように孤立しているのが不思議です。
ありえるとしてもここのように孤立しているのが不思議です。
あとこの丘のふもとに
なんとなくですがため池の跡のようなところがあります。
生活圏ないしは聖地としての条件は備わっていると思われます。
なんとなくですがため池の跡のようなところがあります。
生活圏ないしは聖地としての条件は備わっていると思われます。
今回も当然謎を解明するだけの証拠と知見はないので投げっぱなしです。
どこでもいいから学術調査をしてほしいものです。開発が進む21世紀のカンボジアにこんなに謎と魅惑にみちた地域が残ってるのがもう夢のような話です。
さて昨年も出しましたがこの丘一帯は少数民族の聖域となっています。
しかしそれを示す看板はこのように朽ち落ちております。
大規模な開発から一応は守られてはいるようですがなんとか末永く残ってほしいものです。
しかしそれを示す看板はこのように朽ち落ちております。
大規模な開発から一応は守られてはいるようですがなんとか末永く残ってほしいものです。
次はこの丘から北に見えますこの地域の聖域Prasat Phnom Gnonに参りたいと思います。