カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

2/10

2/10日本じゃおとといのことですね。
Battanbong

①Preah Toek Banan(Bet Meas)
Phnom Bananに登るかどうか悩みつつ麓にやってきたがチケットブースにもだれもいない。
のでとりあえず台座の碑文を今度こそはとガイド氏を案内して一路Preah Toek以前の記事リンクに行くが。

カンボジア人の女子高生のみなさんがバイクで参拝したり西欧人の観光客が来たりと
以前と違って大繁盛である。
おまけに入口に掘っ立て小屋が建っててガイド氏がトイレに消えたすきにおじいさんがやたらと話しかけてくる。日本人だと言った瞬間満面の笑みで握手され英語で話しかけてくる。大体か定型的な話であるが現在外国から自然を破壊され搾取されまくっているというカンボジアが瀕している危機の問題である。おじいさんが懐中電灯を洞窟に向かう観光客に貸しているがこっちはヘッドランプにそうiphoneならねの懐中電灯もあるうえフラッシュまで持ってきているので付け入る隙を見せないのであった。

でその台座はといえばなんて残念なことに。
なんか仏像が祀られていて前座の涅槃仏の寝床にされてしまっていたうえあろうことか仏像に向かって碑文側がくっつけられてしまってほとんど見れないではないか。

地元民の仏教信仰の篤さはわかるが
誰も台座の碑文に気付かないのだろうか。文化局もEFEOもまじめに調査しろよといいたくなる。
あ文化局に行けばよかったのか。

絶望しかないまま引き上げるとまたガイド氏がトイレに行くそのすきにおじいさんと若者が増えて
小屋の寝台にここ座って話をしようという。
そしてビニル袋に入れた水晶や輝石を見せてくれるがあれか、これはPhnom Bayengでベトナム人式にさも親し気に接しておいて金をせびったり押し売りするおばちゃんどもにやられたパタンだろうか。
追記しとくとおじいさんはサイゴンにいたというし、Dananの五行山でこれやられたしあまり最近みかけないが田口ランディ氏の本にも似た話があったし。

さらに絶望して仕方ないのでいくらか聞いたら驚くべきことに売りませんみせるだけです。という。

おじいさんよくみれば観光客に懐中電灯貸してあげてるがお金を全く受け取ってない。
なんということでしょう。このような高潔な方がまだいたとは。
実は以前Phnom Bayeungでこんな目にあったもんでとお詫びする。

なんだかよくわからない重い石があってその名を知りたいとのことだったが携帯の画像のみでお持ちではなかったのでわからなかった。黒くて表面が滑らかで隕鉄のようにも見えたが土から掘ったもので(めりこんでることはあるだろうが)けっこう出るらしいし磁性はないらしい。おじいさんが言いたいのはこのような自然資源に恵まれたカンボジアから外国企業中国とベトナムのことだが、それらが全部略奪していってしまう。自然もどんどん壊されてしまう。このあたりもこのような石が採れるから心配だから、むしろ日本やアメリカ、ドイツのような国の会社に来てほしいということだった。我が国含めてこれらの国が搾取しないとはいいきれないが自然環境への配慮は多少するだろうゆえ。

おじいさんは1973までサイゴンアメリカの企業で輸出の仕事をしていたらしい。しかし革命間近になったのでバッタンボンに帰ってきたとのことだが、サイゴン帰りの都会人であるとされた新市民がポルポト時代でも特に苛烈な虐殺が行われたバッタンボン州で生き延びるためにどのような苦労をされたのか想像するだに戦慄を覚える。
おじいさんはこういう話を日本に帰ってどんどん広めてほしいとのことであえて長々と書いておきます。

私はカンボジアの歴史探訪をしておりますゆえ折に触れてロンノル~ポルポト時代の話も触れざるを得ないのです。

で台座を動かしたのは誰だと聞いたのだが洞窟内の台座も神像も仏像も全部Yuonが持って行った1982年ごろなどといまいち話がかみあわないままではあったがおじいさんと一緒にいた若者ととてもいい方たちであった。

②Prasat Phnom Banan 
トイレに行ったらチケットブースの前を通りお前チケット買ってなかろというのでだって朝来たら留守だったじゃんどんどん人スルーしていったよと言いたくなったがしょうがなく買ってしょうがなく登る羽目になった。

途中で息が切れ登山でよくある偽ピークに騙されつつなんとか登る。
中央祠堂に9年前お子様たちが掘り起したドヴァラパーラがちゃんと鎮座していたので一安心しつつ軍人がなぜか多いのにちょっと驚きつつささっと降りる。内戦時代は砲台だらけだったようだがさすがに敵もこの山に砲撃することはしづらかったであろう。じゃタイのプレアヴィヘアへの砲撃はなんなんだと思い出し怒りがこみあげてくるが。

③Mebon BananからBarayを見下ろしているとやはり見えるMebon(池の中央)が気になる。寺院はないとわかっているが行かざるを得ない。
行って大正解であった。寺院はなくとも生活祭祀の跡は地面を埋め尽くす勢いの陶片が雄弁に語ってくれる。

④Vat Po Veal 博物館になる予定だった有名なお寺だが最近AFPとかで特集記事があったと思う。荒れてきている。どうにかならないものか。ポルポト時代にもかなり略奪を受けていて貴重な文化財が散逸している。

そしてこの寺に連れて行ったガイド氏はこの寺の外に住んでいて話を聞くと幼少時代は幸せであった。父君が小学校の先生をしていたが1975の4月17日(以降の数日後であろう)、やはりカンボジア正月と革命でお祝いムードだったバッタンボン市民は朝から市中で銃声が鳴り響くのを聞いて驚いた。

民主カンプチアプノンペン同様当時カンボジア第二の都市であったバッタンボンでも市内から市民を全員排除して村へと強制移動させたのだった。さすがにバッタンボンなど地方都市でも市内を空白化させるとは想像はできてもなかなか我々が知ることができなかったのでこの機会にいろいろ聞かせてもらった。

ガイド氏の父君も学校の教師という民主カンプチアという知性を排する愚劣な集団から敵視されて残念ながら殺されてしまった。両親と兄弟を失って言葉にできない苦労をしたであろうがこの寺や次のVat Kandalの境内で遊んだりこの寺で盆踊り(Rodam Pechhum Beng)が催されたり、近所でVishnu神の石像が出土してニュースになりこの寺に運ばれ市民が続々と見に来たり(今いずこ)といろいろ楽しい思い出も残っていると。
・・・
⑤Vat Kandal 有名なお金持ちの寄付で新築されたらしいが遺跡の痕跡はわずかに伺える。

⑥Vat Slaket 同じようなものであるがこちらは碑文が出ている。残欠はなかなかなものであった。