カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

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Preah Khan Thom nau Kompong Svay

なんとまあグーグル先生で見ててこっちから行けば歩き方が5時間とか寝言書いてるけどすぐ着くのにとおもってたKompong Thom 州の大規模ゴム園の中をさすがに運転手さんは把握していて、同じような頭が痛くなるような区画でちょっと混乱しつつも疾走したらシェムリアプから3時間足らずでついてしまいました。
もちろん今が乾季ゆえですけど。雨季は道はそれなりでも5時間以上かもしれませんのでご注意を。


しかしこの大規模プランテーションベトナム企業がやってて数キロ毎にベトナム人の管理小屋があって
ポルポト時代以降のカンボジアの人にとっては忌まわしきあの一つ星のベトナム国旗が翻っています。

まあ部外者のわたくしがいろいろ言うことはできませんがどこに行っても日本人であるというだけでよくしてくれるカンボジアの人には感謝です。それもこれもいろいろひも付き支援だの言われますがJICAの現場の皆さんの尽力もあるのでしょう。

話が道同様それましたので。

①Prasat Preah Damrei てっぺんに派手な祠ができてたのと、北西側が見やすくなって遊んでた子供と写真を撮る。それにしてもBarayの広大さは半分土に埋もれてもここら辺の住人の水源として現役で役に立っている。
と、印象なく忘れてましたが
①’Kraol Kantheay①への土手への階段と方形のラテライトのやはり台座様の遺構。

②Preah Chatomukh 仏様も前と違って一周して四面とも堪能できるようになっている。と言っても左手と地面に落ちてる螺髪(これもがれきが整理されて見やすくなったけど)くらいだが。

このバライに面した土手で陶片を昔多数見出したが今は乾季で朴のような葉っぱに覆われていてよくわからなかった。

③Prasat Phtal(Mebon) あまり用事はなかったがガイド氏が初見のため行ったが昔と違って経蔵も安全に見れた。

④Prast Preah Stoeng(Mukh Buon) いかにもBayonを感じられるところ。ここもまあまあ周遊できるがやはり浮石は多い。
⑤Prasat Boeng Srae khang Lech ラテライトの祠堂。
池の土手だけあって陶片には事欠かない。

とBoeng Sraeの東側土手を歩けばラテライトの台座のようなものも見かけるがここ西て書いてるけど東がどこかはわからない。
⑥Tonnup Boeng Srae 池の北東角は鉄鉱石やスラグ、陶片もだが製鉄炉のレンガが散乱している。
炉を探すほど元気ではなかったが鉄鉱石がごろごろしてるのはなかなか乙なものである。土手でやはり123世紀の中国白磁を見つけるとなんともすごいことだと思う。
てか陶片は王道や池のあちこちに落ちていたけど。

Kunong Preah Khan
APSARAかなんかがいないで東門でだべってるおっさんに入場料なのか?10000リエルはらう。警察がいたら5ドルという。昔は1ドルくらいだったような。

しかし毎度この東門付近に散乱する鐵のスラグには驚く。こんなところで製鉄していたのだろうか。Kuoy族がポストアンコール時代やってたのが残っているのであろうけど。

東門につくとバイクでカンボジア人が数人単位で続々やってきて城内を見ている。なかなかカンボジア人も遺跡に興味を持つようになって重畳であるが弁当食いながら見てると集団デートのようでもあり遺跡も20分くらいしたらさっさと帰ってどの子を後ろの座席に乗せるで丁々発止の駆け引きをしてる。
ちなみに彼らは無料である。それでいいのだが。

ちなみに前回と違いガイジンの団体客(と言っても日本人だったけど)も皆無でなかなか乙なものである。


前衛
7⃣Prasat Kuk こっちがDarmasara(灯火の家)で
⑧Prasat Kat KdeiこっちがArogayasala(施療院)の体裁をとって前衛として両側に並んでいる。
碑文K.161 実は旅のしょっぱなからカメラのオートフォーカスがこわれマニュアルで合わせているけど碑文がなかなか撮れない。と思ったら露出過多になってたのにやっと気づく始末。
城内

⑨経蔵 アンコールのPrasat Suor Pratを彷彿とさせるが前回スルーしたτにある碑文を撮影に藪の中むかったがなぜかここまでずっと料金?徴収したおじさんがいくらダッシュで走ってもついてくる。
ので帰ってもらった。監視でもなんでもないただのおじさんで池で水浴びして魚採り始めたのでおいて行った。なんだったのか。
ちなみに碑文は石が悪いのか故意か文字がほとんど崩れてしまっていた。長文だったが。帰国後調べてみますわ。

実際ここでもう目的は終了したのだが早く着いたので若干時間にゆとりがあります。

なにせ昔は5時にシェムリアプを出て着いたのが11時半、弁当食って12時ごろから治安などの問題で15時までで①②7⃣⑧Preah Khan本体と見なければならず到底時間が足りないもんでした。
てことで実はこっちが目的だったので西門を出ます。
西門もなかなかなもんです。

が出てすぐのPrasat ChamとSpean O Chheu Tealは場所がよくわからないまま帰りがけも時間切れでした。
さらにいうとあろうことかどうも いつも頼りにしてたCarte Aecheologique du CambodgeのPreah Khanの地図は微妙にずれているようで

⑩Prasat O Chheu Teal tochというほどでもないラテライトの寺院ですが藪で全体は見て回れず。
⑪Kok Kroes これもほぼ王道の上と言ってもいいけど真横に、台座の島地というようにラテライトで囲まれた正方形の遺構。Preah Vihear KulenでみたPrasat Balangも同形で謎が若干解けた。やはりあちらも王道か。

ここまでは地図通りにしても、

⑫Prasat O Chheu Teal E Tbong これが地図では間違っててグーグル先生の導きで着いた。見事に完形が残っているラテライトの祠堂ですが道から外れて叢を通らなければならないので地球の歩き方に載っているからと言って舐めた格好でいかないほうが吉でしょう。地図では⑩の南東になってますが南西。行ってグーグルマップに上げたカンボジアの人に感謝。

グーグルマップは今回圏外でもあらかじめ地図は圏内で表示させておけばキャッシュのおかげとGPSでネットは介さないみたいで位置を大体正確に表示しますが、なぜかシェムリアプの街中などでは10mくらいずれてることもありRed PianoでTomb Raiderを飲んでるのにアンコールナイトマーケットでドクターフィッシュに足を食われてるような表示もありました。

一番ひどかったのはSamrongでホテルの場所がわからず音声でホテル検索したらなんどやってもPrasat Prae Rup(アンコール遺跡の、火葬場ですよね)が出てくるので次の日ほんとうにサンセットに紛れ込んで泊まってやろうかなどと妄想しましたわ。



さすがにここら辺で時間が怪しくなり、域外のPrasat Trapeang Chambakは断念して引き返しました。
帰りがけも橋もPrasat Chamも全くわかりませんでしたが西門からの参道のガルダの装飾は北面によく見えてなかなかなもんでした。

なにせ9年前でしたがこんなにあちこちうろつくと地雷が危ない、猛獣や蛇に食われる幽霊が出るなどと
多少盛ってますがわたくしのような一般観光客が自力で回るなんてとんでもない話でしたので今も微妙に迷う恐れはありえるので気を付けてほしいですが徐々に開けてきていることのは良し悪しは置いといて間違いありません。

Stoeng, Kompon Thom


⑬Vat Khleang Khmaut Oudongと同様の祠堂のような高さのStupa 19世紀くらいだろうと思われるが
ここの寺院の門が国道6号線からPreah Khanを目指すにあたっての目印である。
しかし虫が湧いた蔵という意味ですけどなんでしょうね。
ちなみにNeak Taに薄い台座のようなものがあったけど寺院のあとというより境内に残る巨大な木の切り跡から森だったのでしょうね。

ベトナムのゴム農園はゲートが2か所あり、門衛に言えば通してくれるが夕方は6時までなのでそれまでに帰りの二つ目のゲートを潜り抜けないといけない。

正直大プリアカーンはメジャーな遺跡になってるもんと思ったら意外とカンボジアの人にはメジャーになってるもののこの観光シーズンでもガイジンは私だけだったので、まだそんなものかもしれませんね。

ここは2000年からタイ人によって遺跡のめぼしいテヴァダーがチェーンソーではぎとられて無残になっておりますのでカンボジアの負の遺跡として二度とこういうことが起きないようにという教訓の遺跡でもあります。

私が語らなくともこの遺跡についていろいろ情報はあるでしょうからそっとしておきますわ。