カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

大渋滞

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バンコクからの乗り換え便を念のため一便遅くしたのでプノンペン到着が10時前になりましたが、前の便で十分間に合ったので時間が若干むだでした。きょねんはそうしてたのに。

こういう所が年々勘が鈍って動きが悪くなってるなと感じざるを得ませんが。

去年はiphoneをそのままドコモでネット使いまくり莫大な通信料金を請求されましたが、今年は空港でプリペイドsimを買いタブレットからテザリングしてますが順調です。
キャリアが並んでる空港の出口から右にあるブースで
smartをキャリアは選びましたが、ほかのキャリアも一緒で、外人はパスポートコピーが必要ですが、simカードの入れ替えないしは挿入から設定まであっという間にパパパとカウンターのお兄ちゃんとおねえちゃんが連携してやってくれたのにはおどろきました。たいしたもんです。日本のキャリアにも見習ってほしいです全く。

で。

プノンペンの交通渋滞も年々悪化の一途一途ですわ。
工事中の箇所が多いのも、信号を急ピッチで整備してても動いてないのも原因でしょうが、
日本もその道路整備に協力していて、基礎工事をしっかりやってるなあと、拡張工事の現場を見てたら日の丸が看板に載ってたりするのは同胞の皆さんに敬意を抱きます。
とはいっても昔より市内を走るのは3倍以上の時間がかかってますので、シェムリアプと違って全日空の直行便があるとはいえ、日本人は少ないプノンペンですが、旅行に行かれる方は十分時間にゆとりを持った行動を折られたほうが良いです。特に空港の行き来は。

ともあれ大渋滞の市内を抜けてプレイヴェンへと、以前はフェリーで渡ったバサック川を、これまた日本が1200万ドル援助して架けた立派なトラス橋を渡り橋のたもとで眺めながら昼飯を食うことになり時間が大分押してしまいました。

長々と駄文を書いておるのも、あまり遺跡にいってないからであります。
1号線沿いにプレイヴェンからスヴァイリエンへ
①Vat Sattaream さったーりあむ つまりカンボジアラーマーヤナのシータ姫とラーマの名の寺で、カンボジアではよく見かける寺の名。神像の残欠など。プレアンコール。

ここから先は遺跡地図が道の位置を間違えていて久々に村の皆さんに問い合わせながら回る。
まず、Vat Kdei Troepと思っていったのは
②Vat Svay Outdumで、ここも古い池を持った遺構ではあろうけど違い
ここから東の
③Vat Sela Charluk すなわち、碑文碑文の寺という名のこの寺が別名Kdei Troapでした。
遺跡地図は道を一本西の舗装道路と、正しい運河の両側にある未舗装道と誤認しているようで、
次の
④Kdei Ang Chumnik、というよりKdei Skeal groupも
同様の位置どりでした。
東からTrapeang Ang?、その西の高台がKdei Ang Chumnik そしてその西にprasatの痕跡と環濠に陶磁器片を見る、中心地Toul Ang その西に広大な住居地の遺構であろうPhum Yeay.

乾期なのに二毛作が盛んで田圃や水路も水が多く、踏破には若干苦労したのも備忘のため書いときます。

しかしここはすばらしい。
⑤Vat Krang Svay 遺構は池くらいか。
⑥Vat Prasat 石材が集められているが少ない。プレアンコール。
⑦Vat Ampil 何も見つけられず。
⑧Vat Preah Chhor 何も見つけられず、と思ったら無造作にプレアンコールの台座が。

本当は結構遺構が密集してたのでいろいろ回りたかったですが、今回は予習としときますわ。