カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

彼我を分けるもの

2/5 SvayRieng
①Prasat Bassac(Prei Bassac)
泊まったホテルの兄ちゃんは、ニヤニヤしてきれいなねえちゃんはどうかという。
いえ結構です。というと何しに来たのかと聞く。
遺跡に来たのだと言うと、Prey Bassacは行ったか?と聞く。
あまりめぼしい歴史観光スポットがないので逆にみな知ってる程度に観光地として地元では推されているようである。
Tonle Vaikoの西岸から広がる敷地にレンガの参道、川岸にはアンコール時代中心に様々な時代の陶片。

扶南時代かもしれない石柱に1895年のフランス人の落書き?

しかし朝とは言えツーリズムオフィスまであるのに日曜だからか無人、村人以外は圧倒的に人がいない。
静かでいいんですけどね。

対岸に向き合うようにある、お寺にも行ってみたかったですが次回以降の宿題です。
②Vat Sereisphea
①への途中にある寺で、何もないけど西側にTrapeang、つまり古代からの池があり、人為的に運ばれたレンガが一つ落ちてた程度。
③Vat Koh Chong (Toul Ta Chongと思しき寺)
別の場所かも。
④Vat Preah Chhuk 町の中の寺で、遺跡の痕跡である石材が二つのみ。

⑤Vat Banteay ,Romduol
砦という名だが遺跡の痕跡は見当たらず。

⑥Prasat Chea Hao 10世紀くらいの一基のレンガ祠堂の残欠。意外と四駆で、遺跡まで行けた。幅30mほどの川の南岸の高台で、東の川岸には陶片少々。祠堂の入口にも立派な盤口瓶の残欠2基。向こう岸はもうヴェトナムである。国境だが何もないのどかなものである。がポルポト時代、たった数十メートル、泳げば楽勝で超えられる川の彼我で、人々の運命を分けていたと思うといろいろ考えさせられる。ヘンサムリンやフンセンさんもSvay Reingからヴェトナムに逃げて再起したのを思えばなおさらである。
ガイド氏は通りすがりのおばさんにあっちがヴェトナムと聞いて愕然としていた。
⑦Vat RomeasHaek
RomeasHaekの村からやたら離れて寺があり遺跡地図にも載っているが遺跡の痕跡は見つけきれなかった。

PreyVeng

⑧Vat Po Torn tornは木の実が房についてる様らしいが。
⑨Neak Ta Po Neary
遺跡地図と違って北に寺、南の学校内に自然石を積み上げてコンクリで固めた塚。
寺は何も見つけられず、ニャックターを探そうと通りすがりのおばちゃんに聞くとさらに通りすがりのおばちゃんに尋ねて、あまり知られてないのか?
結局おばちゃん2が敷地で掃除しているえらい坊さん(サングラス)に地面に座って合掌して聞いてくれたら学校の中とあっさり教えてくれた。なんかそこまでしてもらってすんません。
おばちゃん2はこっちの塚より新しく出来たヴィシュヌ神もどき像が立ってこっちのがご利益があると推奨してたが信仰が移ってしまったのか、塚はあまり祈られた形跡がない。
⑩Vat Tnoat 正式名称はVat SeeRaa Monkol SattaRam Tnoat
ここも⑨と一緒で寺には何も見つけられず南の学校にふらっと入ると校庭の片隅に同じような塚が、古い池の西側でもあるが。
しかしこっちはさらに扱いが、ひどく荒れ果てていた。
寺めぐりしてますが、なかなか遺跡の痕跡には出会えませんね。

コンポンチャムも交通量が増えてキズナ橋も夜通しトラックが往来しててそのたもとの宿でちとうるさいですね。でかいホテルもできてました。一泊朝食付きでー40$から70$とのことで展望エレベーターもついてサーチライトが夜空を照らしてますが偵察がてらレストランに行ってみようとしたら夜はやってませんでした。
仕方なく値上がり甚だしい地元の名店Hao Anで食べましたがお役人さんたちかナンバープレートの
特殊ないい車が沢山止まってました。が、思ったよりは高くなかったです。味はやはりあっさりしてておいしいもんです。
キズナ橋の北のたもとには一軒だけ西欧人の集まってたレストランバーがにぎわってましたが、まあこれは前からありました。どうでもいい話ですが。