カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

感謝感激

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西欧人の集まるカフェレストランでまったりクレープなど食いながら明日Kampiで食べる魚のことなど考えつつネットをみていたら
ありがたいことに先達のお二人がCISARKさんがまた復活してるとご教示くださいました。
なので急いでGHの前まで戻りメコン川の中州から聞こえるいまいち下手なカラオケと、川岸の虫の音を聞きながら月光にほのかに光るメコンの川面を眺めつつCISARKさんにログインして感謝感激しております。
コメント本当にありがとうございました。


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Thmei, 105,Kratie
そのCISARKさんに未収🈞の遺跡を探す第3次探索ですが、今一聞き込みもはかどらず、最初Skou村に行ってみたらこっちは以前紹介したPreah Theat Skouしかない。いろいろ掘り出したら崩れてしまったなどと抜かします。
やはり祠堂崩壊の原因は盗掘だったのかと何とも言えない気分になりましたが、
いくつか知ってる寺院を聞くとPreiTopというのがあるらしいと言います。
105村に移動して聞いたらなんのことはないPreah Theat Khvan Pirのことでした。、
そういやOu Chamてのがあったな、いやあんたそれKampiの近くでしょという夫婦漫才のようなやり取りの挙句、今回は空振り、いやもう出尽くしたのかと思いきや村はずれに新しくできた寺が遺跡だったといいます。
①Vat 105 2015年にできた小さいお堂と僧坊だけの寺。台座の残欠が3つのみで移籍の痕跡は見当たらず。
2014年に来ておけばよかった・・・

これで終いじゃ物足りないのでPrasat Lobok Slotを再訪。案内なしで進んでいると前方に若い兄ちゃんが二人現れた。
後ろを振り返ってガイド氏に一応みちきいてみますか?というと
どこにいますか。という。
前を見ると、一瞬にして誰もいない。脇道もないし10mくらいしかはなれてなかったのでそれなら草を分ける音もするはず。
なのに静かである。まだ行きで、幻覚を見るほどふらふらしてない上、
兄ちゃんの、黒と、青いTシャツもはっきり見たのだが。なんか見つかった、みたいな表情してはいたが。
まあ村人だから音もなく隠れることも出来るのだろう、多分。

②Lo Srangkae おのずと通り道なので再訪。
窯跡は円形レンガ建造物の南に北東ー南西に長い一基のみ確認。
2年より雑草落ち葉が多く瓦は減っていた。
③Prasat Lobeuk Sraut CISARKさんの復活を聞い聞いて表記をそちらに合わせときます。

東参道は竹やら灌木やらで荒れていた上主祠堂崩壊が進んでいるような。
北にも付属施設がないか見に行ってみたがなくて、結果は碑文の内容を裏打ちしたものだった。
帰国後まとめます。
暑い中よろよろ見てたらフランキー堺氏に似た、愛想のいいしかしオフィシャル山賊もとい警官があらわれた!
今回はグーグルマップのGPSで案内なしに遺跡へ到達したが、どうも行く前にSraか105でこの人に行って案内して貰わなければならないというめんどくさいことになっているようである。
我々が分け入ったの見て追っかけてきたようだ。

2015ねんに文化局が来てそうなったという。Khvan Pirで盗掘があったのでそうなったとのこと。
あっち行った時、あるはずの碑文が見当たらないのでそれなら仕方ないかと

次いでだしこの周りに遺跡はないか聞いたがさすがに密林に眠る遺跡とはいかず、ないとのことだが、グーグルマップで以前提示した通り北にある大きなtrapeang(付属池)には行けるというのでいってみることに。

④Trapeang Thom 静謐で西になだらかな丘陵を持つ、古代の居住地。
これもまたsanctuaryである。

帰りに遺跡から北の川に通じる道と、遺跡と西の貯水池を結ぶ地点で、砂地の多い赤い土器片をそこそこ確認。これで満足した。

この後帰りの道を東に進む分岐を南だというのでそっち行ったら迷いかけ森の中を灌木を掻き分けヘロヘロになって戻りましたわ。
グーグルマップは参照出きても、直射日光で見えにくいのと道が分岐しまくっているので無理は禁物ですわ。

涼しめとは言え直射日光でフラフラしながらやっと戻り往復4時間、12㎞ちょっと休まず動いてましたわ。

⑤Tuol Charlek 碑文の丘という名は村人によると沢山あるという。
大体今は墓地になってるという。とりあえず遺跡地図の場所を教えてもらい行ってみたがやっぱり何もない共同墓地でしかなかった。
が!
先ほどCISARKさんで早速調べたら名前の通り碑文が2基も出ているではないか。
帰国後お墓の画像とともに碑文を見てみるというシュールな記事を書く予定ですわ。