カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

GPSも最後は人力。バイタクは・・・

たまには、遺跡話中心に日誌を。といっても先達の皆さんに他力本願ですが。

2/10
Choam Ksant

車でも行けそうということでNeak Buosを朝一で目指したが、日本の協力碑の出来てた入口からの道は滅茶苦茶で石や轍で無理というので昼から町のバイタクで行くことにして。
Prasat Ta Ros or Soumapへ。ここもkechap2様がグーグルマップで座標確定されているのでGP?S片手にてくてく歩けば到達。見事な寺院。

次が失敗。Prasat Trapeang Chhukを目指すも場所わからず。めったにいない通りすがりのトラクターに聞いてみるともっと東に遺跡があるというが、そろそろ直射日光も辛く、王道を横切った地点で断念。

Prasat Cha-eh ここも場所をグーグルマップに挙げて下さってるので、楽。感謝です。
この後この南のpetit Tnal Svay、Trepeang Tnaol Chhukなど再訪しようかと思ったものの道がまだ心許ない。やはりまだバイクの世界だなと。

Choam Ksantに戻り食堂の奥さんがバイタクを呼んでくれたが、高い。
値切ったら、二人のバイタクの、おっさんのほうが、いってすぐ戻るならその値段でいいがこっちは写真撮るの待っとかないといけないなどと抜かす。

ボッタクリに近い値段かもと思いつつやむなく乗っていくことに。

Prasat Neak Buos SE or Prasat Pros

前回見そびれたが今回初見。
っておいおいバイタクおっさんよ。

人より先にいって写真撮りまくるなよ。。。

この後本寺院までこちらお構いなしにおっさんが写真撮りまくって若干半笑いでイラッとしつつ。

ち葦匯璉 Prasat Srei ここもタイミングが良かったのか、草が刈られてはいりやすくなっていたが
おっさんが(ry
Prasat Neak Buos 再訪。今回は第二ゲートの、摩滅しつつある碑文を撮影。それとおっさんがちょろちょろと写真撮りまくり写りこんで、なんかもうわたくしはおっさんの写真集の撮影に来たのかしらんという気すらしだす。

おっさんに嫌味を言ったら奥さんは来たことないので写真見せるなどときらきらした目でほざく。

爆発しろ!
と思わず叫びたくなったが、前回付近で野焼きで不発弾らしきものが実際ドーンと爆発してたのを思い出し自重。

それにしても何が、「写真撮るの待つので時間がかかるからまけない」、だよと、思っていたが帰りにPhnom Dapにも寄ってくれようとしたり親切ではあった。が、今回は涙をのんで断った。

2/11
Khvav
Beng Mealeaからバスや、トラックでKhvavへ向かう方は、13世紀前後の大橋であるSpean Ta Ongが保護のため通行禁止になっていて、ランクルまでしか通れない様柱が立っているので要注意ですわ。
て、そんな人まずいないと思うが。
こういう保護はやってほしいもんですね。

Vat Peung
Khvavでたまたま止まった雑貨店のねえちゃんにバイタク頼んだら、驚くべきことにこの人、わたくしの人生の思わぬところでまれに突然関わって来るアンコールクッキーで働いてた事があるとかで、日本人であるわたくし一行にとても親切にしてもらった。ほかの女の子も、横の薬局のおじさんたちも、遺跡に詳しく親切だったのでもともといい人たちなのだろう。

しかしバイタクは
なかなか来ない上、来ても
Beong Sasar Viech,Chhuk preah Theatもなかなか遠い上、後者は知ってる人と知らない人と,いて、知ってる人は
農作業で忙しいのでむりという。
Vat Peung と、やはりグーグルマップに載ってるガ、CISARKさんも未収載のまだ詳細不明の遺跡、
Prasat Khnarを優先することにした。
やっと来たバイタクあんちゃんは、昼前になってたが、これじゃ帰りは夜になる、とても遠いとはざいてた。
ぼったくりにもほどがある値段だったが、そういう割には、行かないと言わないのでこれは、盛ってるなとしか思えなかった。

道は砂岩のがれきを上下する難所もあったが、意外と人の往来もあり、参拝者らしいおばちゃんたちを満載したトラクターとすれ違ったりした、ああやっぱりもし彼女らが朝一でで寺行って戻ってきてるとしても大した時間かかってないなと推測された上、何より、電波は圏外でもオフラインでグーグルマップのGPSが機能していて、見てたらどんどん近づいていく。

なんてことはない、Khvavを出発していて、丁度1時間で到着した。

もちろん乾季だからこそで雨季から乾季最初は渡河が数か所で行けなくなる。

寺自体は遺跡ではなく王道沿いの橋の欄干のナーガや、あろうことか、摩滅してるとはいえテヴァダとか、Prasat Khnaからと思しき石柱とか、どう見ても星辰を配置した石のパネルが並べられてたりと、珍しいもので偉大なるご先達のApsara様が昔記事に書かれていたのを思い出させましたわ。

しかし勝手に集めたのはどうかとも、ふと思ったりもするが野ざらしよりは大事に祀られていていいのかも、とも思う。それにしてもシェムリアプの最果ての秘境だと言うのに善男善女で賑わっていて遠くからWhere are you come from?(ママ)と叫ばれたりした。後でガイジンはわたくしだけだったのに気づいたので答えてやればよかったかなと。

ここも実は今は若干遺跡と化しつつあるサイトの、偉大なるご先達に敬意を表しての訪問でもあった。

Prasat (Trapeang) Khnar
寺の前の数戸の集落の分岐から25分程度。賑やかな寺を離れ途中の森の中で弁当を食べる。
レンコン・ヴィエル(カンボジアの森の妖精)に供物を捧げてたらバイタクどもは笑っていた。罰当たりどもめ。
ところどころにポツンとある小屋や家を抜けて、酔っ払いどもが車座で宴会してる家で最後に場所聞いて遺跡に行くが知ってるという割に方向が怪しい。大きなトラペアンが目印というがちょっと離れている。
野焼きで燃えてる中そっちへ行こうとしたり、逆である。
最後はこっち見てGPSなどというので道から消えかかっている脇道、そして猛烈な藪漕ぎしてたら10世紀の、美しい塔頭が割れて落ちていてレンガの崩落した経蔵らしき跡が。

その北で西向きの遺跡の正門のラテライトの階段。摩滅したリンテル。そっちに回ると奥からバイタクあんちゃんがこっちにあるとさけぶ。なんのことはない、藪漕ぎせずとも北から別の脇道、これも消えかかっているが、そこから入ればやぶこぎ不要であった。しかしそっちからだと、全容はより、把握できなかっただろう。
把握も完璧ではないがラテライトの周壁に囲まれた10世紀前後のレンガ祠堂の寺院で、内部は複雑で、3か4、4、3の少なくとも10基以上の小祠堂と経蔵、主祠堂へのレンガのエントランス、全部崩壊しているが往時を忍ばせる大伽藍である。

しかしこんな場所でも盗掘跡があったのは度し難いものである。

帰りに酔っ払いに絡まれ、バイタクあんちゃんたちが犠牲になって一杯飲まされていたが、わたくしは断った。メチル入りなら死活問題ですもん。まあお前も飲めというのは挨拶みたいなものらしいが。

夕方前にはKhvavに戻れそうなのでSasar Viechに行ってくれというが遠いし砂の道で時間かかるというのであきらめて次回までにPrasat Chhuk Preah Theatを把握しとくよう頼むがたぶん駄目だろう。しかし二人のうち片方は知ってるポイことを言ってたのでまあなんとかなるだろう。
帰りはやまのくだりでもあり、1時間かからず、王道の
Speanの一つ、の横の川というか細長い池でわたくし以外ほこりを洗い落としたりして、町のすぐ東にも欄干を持つ橋(Spean Khvav)があったがすっ飛ばされ、総行程五時間であった。
Prasat Phty
申し訳ないけど、ベンメリアは朝から中国人の団体バスが殺到していて秘境ムードを味わいたい人は、台無しであろう。

こういう方は石が崩落してて気を付けてほしいところもある(特に雨季は滑りやすい)が、ベンメリアのベン、池の南にあるPrasat Chreiにいくと雰囲気が味わえるかもしれない。

まあベンメリア本体も15年前まで地雷事故とかあったが、数年前まで地雷撤去作業してた東端のKon Phluk
もいいが寺院は立ってない。

そのChreiの、西の降り口から池の中に入り、中心部、といっても若干西よりにある、メボンことPrasat Phtyに再チャレンジであるが、今回はGPSがバッチリなので、楽勝である。

...はずがやはりなかなかみつからない。CISARKさんの遺跡地図から、Chreiとの位置関係を見てたがないので少しずつ西に移動して探していたらガイド氏が、あった!と。グーグルマップをようく、見たらこれだと分かるかもしれない。 しかし、行きにほんの数メートル南を通っていたのに全く気づかなかった、くらいわからないもんですわ、森の中では。

夜に,今奈文研が、アンコールトム北大門発掘調査修復してて、リトルグレイを彫った石が出てきたなどと言う話を聞きつつ酒を飲んでると近くの寺で満月のためか、祭りやってて花火が町中なのに打ち上げられたりして大騒ぎであった。