カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

あてになるのか?

いつものごとく微妙にサイレント修正していっております。

今後の課題ですが。
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この地図はシェムリアプの町中の書店でも買える、シェムリアプ州の各地区ごとの地図の一部ですが。
いまいち情報が古いうえ、道路も適当で、あまり正確性はありませんが。

上記のように、時々CISARKさんにも登録されていないような遺跡、わざわざPrasat Bouran(古い寺院)という記号が唐突に記載されております。

5年前このシリーズの地図を持ってSre Noyというシェムリアプ北部の地区に行ってみましたが、一部はありましたが、一部は遺跡の影も形も見当たらず地元民も知らんと言われあまり聞き出せず、空振りだったという悲惨な思い出があります。

で、今回ベンメリアからKhvav地区にかけて見てみると、
ご覧のように遺跡が載っておりますが
当然遺跡地図にも載っておらず、CISARKさんを検索しても見当たりません。
そんなところにホントにあるのか知りませんが堂々と目立つように地図に記しております。

逆にPrasat Top Chey、Preah Theat Khvavなど、王道沿線や、この一帯に点在する主だった遺跡はさっぱり載っておりません。

実に怪しい。

これはまた適当に載せただけなのか?あてになるのでしょうか?

グーグルマップでそれらしき航空写真を見てみましょう。

まずベンメリアとSvay Leuの分岐あたりから、この地図の最初の遺跡がありそうなあたりへのルートを
グーグルマップで検索しますが
さっぱり地形とか大規模ゴム農園の開発や、爆撃痕の円形の池などでわかりませんので、
目印としてなじみのあるTop CheyのTrapeang Top Cheyという王道沿いの湖沼を起点として比較していきました。

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ご覧のように、道も、地図とは途中までは一緒ですが、地図に書かれたような赤い主要道は途中からはどうやってもありそうには見えません。

ないです。

というかこのグーグルのルートも無茶ぶりで道が途中から悪路で途絶えストリートビューも途中で引き返しております。ルートの案内をうのみにできません。

ただ
南の、東西に走る道に出ると、ゴム農園の大規模プランテーションのせいで、ストリートビュー通ってます。
この無名の地点から南に、行くと

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あやしいこの地図の、最初の北の寺院である、Prasat Khnar Khmer(このKhmerも誤植でしょうね)とかいうのがありそうな地点を探すと、はありそうです。寺院は航空写真からは読めません。

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次にここを起点としてさらに南南東に行くと、こっちはご覧のように池とその西に森を持った、やや軸が北東ー南西にずれてますが、寺院と思しき一帯が道沿いにあります。。
上の地図に、その名もPrasat Andaetなどと書かれております。6号線のコンポントム州の寺院の大いなる誤植の可能性もありますが、こっちはいけそうな気がします。

CISARKさんはここより若干西にずれてると思われますがPrasat Chamrehという名CISARK 3881で登録していて、遺跡地図にも載っています。しかしTrapeang Phluohの3.5km北東などと書かれていて、あとで出てくるPrasat Chumreshと混同している節があり、この遺跡の雨であまり調査できなかったらしくイマイチはっきりしてません。1925年のアンコール遺跡保存事務所のレポート通りか確認できなかったなどと書かれていますが混同しているからではないでしょうか。

さて、
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最後の南の寺院Prasat Pouthlですが、怪しそうな場所は、池のみですが二か所ありまして、特定しずらいです。位置的には東側のほうのようにも思えますが地図の川との位置関係を見ると西の池のほうがそれっぽいです。ここはCISARKさんも全く触れてません。

カンボジアの気候が涼しければ一日かけて歩いて回りたいもんですが本当にやったらたぶん倒れるでしょう。

最後にKhvavの南 Vat Prasat Preah Theat Khvavの西側にも堂々とPrasat Bouran(まんま古い寺院)
などと載せておりますが。
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これはグーグルマップで見てもよく見当もつきませんね。

→追記 IK236.04の、Prasat Chramat CISARK登録名Trapeang Konlong 1167のようですが、
説明文Stoeng Trapeang Pluohの右岸、地図に載ってる村Po Ringの2.5㎞北東(原文はNord-Ouestとなってますがまた東西間違えてるのでは?)
大体ですがここら辺でしょう。
・・・あれ?ここも実在するとなると、意外と信頼性が高まってくる?


ただしもう一つ南の、Prasat Choumres は遺跡地図にもあり,この寺院Prasat ChumreshIK236.02 を載せています。CISARKさんにも載っておりNo.131(訂正1315が正しい)で登録されてます。

この寺院の西にある湖沼が集落の名前でもあるTrapeang Pluohですね。

CISARKさんに、こっちもTrapeang Pluohの北東3㎞と記載されてますので、さっきの紛らわしいPrasat Chomrehとこっちと混同してると思われます。遺跡地図にはこっちは載ってませんが、10㎞以上離れてます。

まとめますと、
①市場やシェムリアプの本やに売ってる、地区の地図には、なぜかマイナーな遺跡がでかでかと載っているが、たぶん情報が古いらしく、消え去ってしまったものも載っていて、あまりあてにはできない。
そもそもありもしない道路をでかでかと載せている。

②しかしもしかしたらそれらはポルポト時代以前には全て存在していたのかもしれない。
ただ、遺跡を載せるチョイスは、それにしても謎すぎるのである。

③それでも、わたくしのような暇人にとってはこの上ない暇つぶしにはなるのでグーグルマップなどと比較してみると人生を無駄に過ごせるかもしれない。3日ほど見比べて、飽きましたので記事にして終わりにしますわ。

また来年でも機会があれば、このあたり彷徨ってみようと思います。
てかこのChiKrengにはもっとPrasat Bak Ruong(IK206.01)とか、見てわあ、と思えるような遺跡がほかにいろいろあるんですけどね。

おまけこの雲の下とか(2017年版時)Prasat Chonghar
ここらへん
Prasat Trapeang Prasat。
CISARKさんにはどこに載ってるのか見つけられませんが遺跡地図には載ってるパターンですね。