Vat Svannaram hau Vat 105 nau Phum 015,Thmei ,Kratie
ちょっとだけKratie州Thmei 地区の未登録ないしは登録された遺跡の追補を何回か書いていきたいと思います。題だけつけて保存してたので日時はずれてます。
最初に2014年に初めて訪問して8か所あるといわれて探した、この地区の遺跡の、8番目なのか?という遺跡についてですが。
Prasat Preah Theat (Phum Skou)
Prasat Preah Theat Khvan Pir(Prasat Prei Top)
Prasat Lobeuk Slaut(Lobok Slot Srei,およびPrasat Slot Pros のgroup)
LO Slot Srangkae ポストアンコール主体なのでまだ紹介してませんでしたね。ようつべに上げた今一つの動画はこちら。
Prasat Preah Theat Khvan Pir(Prasat Prei Top)
Prasat Lobeuk Slaut(Lobok Slot Srei,およびPrasat Slot Pros のgroup)
LO Slot Srangkae ポストアンコール主体なのでまだ紹介してませんでしたね。ようつべに上げた今一つの動画はこちら。
そしてVat SvannaramことVat 105
て7か所しかないですね。
て7か所しかないですね。
Lobok Slotを男女の寺院2か所と数えるならアレですが、本院の南にあるここはどうみても本院の東、西にもある同規模の付随施設の一つであろうとは以前書いた通りです。
うろ覚えながら、2014年に聞いたところ
Prasat Krahamとか言う汎用な名の寺院もあったような気もしますが勘違いかもしれません。赤い寺院といえば大体煉瓦かラテライトで姿をとどめているパタンなんですが。
Prasat Krahamとか言う汎用な名の寺院もあったような気もしますが勘違いかもしれません。赤い寺院といえば大体煉瓦かラテライトで姿をとどめているパタンなんですが。
それと余談ですがMondolkiri,Stoung Treng,Kratieの州境にあるという遺跡Phnom Kuも気になりますが。
これも行ってみたいですがちょっと皆目見当がつきません。3州の州境が接しているあたりは舗装道路も通っているのでその近くなら行きやすいかもしれませんが。いずれにしてもこの105地区からは離れています。
これも行ってみたいですがちょっと皆目見当がつきません。3州の州境が接しているあたりは舗装道路も通っているのでその近くなら行きやすいかもしれませんが。いずれにしてもこの105地区からは離れています。
ともあれこの地区に行って3年間で私が知りえた遺跡は上記7か所であり、うち二か所は以前より知られた特徴ある寺院でしたが、ほとんどこの地区は空白地帯で、その最後は意外にも村の中心から一番近かったというお話です。
このようにグーグルマップで見ると西に参道を持った寺院であったことは容易にわかります。ここには数年前、それもわたくしが初めて訪れた2014年まではレンガ寺院の残欠があったとのことで、当時行っておけば最後の姿を記録できたのに無念です。
このようにグーグルマップで見ると西に参道を持った寺院であったことは容易にわかります。ここには数年前、それもわたくしが初めて訪れた2014年まではレンガ寺院の残欠があったとのことで、当時行っておけば最後の姿を記録できたのに無念です。
その後寺の建立が始まって、整地されてレンガなどはあらかた撤去されてどこかに埋められたようです。
入り口は西です。
遺跡の名残を残すものはその、地形である小高い方形の丘と
これらは東側から寺全体を見てますが
順にたぶん仮設の楽坊か経堂か、本堂、僧坊、手前にNeak Taの祠。
これらは東側から寺全体を見てますが
順にたぶん仮設の楽坊か経堂か、本堂、僧坊、手前にNeak Taの祠。
その木造の本堂の北西にある僧坊の下に落ちている踏み石と台座の残欠。
そして寺院東側にひっそりとあるNeak Taの祠にある台座の残欠。
古いのかどうかわかりませんが東側の池程度で、池には遺物は見出せませんでした。
あと東斜面にレンガ片なども落ちてましたが、基壇はもう寺の本堂の真下に埋められたのか、
レンガ列などは全く確認できないという毎度の惨状でした。
南西に砕石を積み上げたところがありましたがどうみても自然の砂岩でしかないようでした。
レンガ列などは全く確認できないという毎度の惨状でした。
南西に砕石を積み上げたところがありましたがどうみても自然の砂岩でしかないようでした。
特に報告するような話もなく歴史考証も困難ですが、この一帯、プレアンコール期の遺跡はあってもアンコール期には真空地帯のように、何もないのでやはりここもプレアンコールの遺跡であったのだろうと、
推測はされます。どうしてそういうことになっていったのか、が重大な謎ではありますが。
推測はされます。どうしてそういうことになっていったのか、が重大な謎ではありますが。
この程度のことしかわかりませんでおしまいですが。
追記。
グーグルマップを眺めていて全く関係なかったのですがストリートビューで遺跡らしきものを見出すこともあるという一例を。
Mondol Kiri州のKoh Nheakの北 州を越えてRatanakiri州 ChimietというTonle Srepokという川の南岸の集落のはずれの寺ですが、
ご覧のようにストリートビューを見ますと、
真ん中の柱の元とその先に、台座の残欠と思しき石が転がっております。むしろコンクリートであってくれと1時間ほど眺めてましたがどうも両方の石を見るに割れた砂岩のようです。
ご覧のようにストリートビューを見ますと、
真ん中の柱の元とその先に、台座の残欠と思しき石が転がっております。むしろコンクリートであってくれと1時間ほど眺めてましたがどうも両方の石を見るに割れた砂岩のようです。
ここは誰にも知られていないようですが、この蛇行する川を12㎞ほど地獄の黙示録よろしく東に遡行していくと、CISARKさんに登録されている。Koh Mayolグーグルマップ上は
Koh Mayeul という集落の名そのまんまの、ここはもうMondrol Kiri州になってますが、石材が一個のみ転がっている遺跡があります。遺跡の位置は不明ですが。
川沿いに遺跡が点在するということは
古代の、この川の河川交易の証拠なのかもしれません。
Koh Mayeul という集落の名そのまんまの、ここはもうMondrol Kiri州になってますが、石材が一個のみ転がっている遺跡があります。遺跡の位置は不明ですが。
川沿いに遺跡が点在するということは
古代の、この川の河川交易の証拠なのかもしれません。
ただちょっと確かめに行くには遠すぎるうえ、行ったところで石材のみのようです。
しかし、なぜか心惹かれるものがあります。
しかし、なぜか心惹かれるものがあります。
どうしたものでしょうかw