カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

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グーグルマップ見るとTbengMeancheyからPou 村の先までKralapeas方面に伸びる道ができて突如解像度か落ちて切れている。このパターンは大体村まで道が出来ていると見て良い(あくまで個人の感想です)
プリアヴィヒア州文化局に行ってから今日は土曜で休みだったと気づく。が正面のシンハやどうも新発見の碑文など外にある遺物を写真に撮ってたら一人だけ職員さんが出てきて丁寧に挨拶される。
のでここぞとばかりにKralapeasへの道ができてるか聞くと行けると教えてくれる。
じゃPrasat Khnarに行ってきますと別れた。
道は出来立てで昔Choam Ksanから車がいきなり二回パンクして18km歩いてたどり着いたのが嘘のようにあっという間に村に着いた。ただ最後はまだ架橋工事を数カ所やっていた。
村についたは良いが大まかな方向しか分からない。村の東外れで農家に押し入りまたトラクターで連れて行ってもらうようお願いし雇うことに。
時間かかるなどと渋っていたが大きい遺跡だからしょうがないなどとほざいたら妙に納得してくれた。ドサクサでPrasat Cheng Meng
にもなんだかんだで寄ってもらうことになった。

Prasat Khnar
CISARK さんから消されてるが遺跡は健在でクレアン様式 バンテアイスレイでも良いが、のtevadaは見やすくなっていた。現地でネットがつながらなかったので帰国後GPSログから位置を同定したいと思う。遺跡を見てたら後でおばちゃん達が見物に来た。
ラクターで芋の苗茎を買いにChoam KsanからKralapeasに来て帰りに見物に寄ったらしい。そういや遺跡の南東角になぜか木のテーブルと椅子が設置されてた。入り口にも四阿というか小屋が出来ててなんとなく人があそびにきてるのかもしれない。プヌォウという硬い材木になる木が遺跡内に多く、伐採を禁じられていてそこそこ残っている。
Prasat Cheng Meng
こっちは時間かからないからと断ってなんだかんだで気のいいあんちゃんで特に文句もなく待っててくれた。こっちはBayonの典型的な施療院で未完成だが建造物は比較的残っている。主祠堂西面以外は。

Prasat Kapheoum
こっちは村の南西でちょっと離れているのであんちゃんと別れてKralapeasから元来た道を戻り遺跡の位置よりさらに南の, やっと人がいる村Phum Koh コッ!と発音 まで無人地帯だったのでそこの村で尋ねる。そりゃもうトラクターある家をロックオンして。

村の西側に赤ちゃん抱いた若旦那と奥さんがいて父親なら知ってるけど遠いなどと言う。7kmというがそれはない。結局行ってくれトラクターは向かいの家のあんちゃんが出動してくれたが結論からいうとおっさんもといお父さん不要だった。
おっさんの指示で最後ポツンと遺跡の近くに暮らしてる若夫婦の家が見えて、遺跡あっちとわたくしにあんちゃんは教えてくれるがお父さんがなぜか東に回り込めと言って藪の凸凹の地形で進退窮まったりした。最初から一直線に家に向かえばよかったし簡単だった。というか帰りはあんちゃんが知ってる農道を北上して東に行ったら普通にKralapeasへの車道に出た。ので行きは50分近くかかり帰りは車道を爆走して(トラクターのくせに60kmhは出てた)20分ほどでついた。
それも途中野生のパパイヤを取ったりしてて。

遺跡は珍しい特徴持った10世紀のレンガの寺院であるが、遠くから撮影していたらおっさんが主祠堂の入り口であんちゃんに記念撮影させてこっちにも撮れ撮れとはしゃぐ。

帰りはポツンと遺跡の近くで住んでる若夫婦ーほんとびっくりするくらい村から孤立してるが家族一緒で寂しくないと明るく爽やかであるーと色々話し聞いたがおっさんは芋などもらってご満悦である。てか人の座るとこに芋積み重ねんでください。。
何しにきたんや…。

あんちゃんはトラクターを全身使って運転してるのに。
でもまあ無事たどり着いたし無事戻れてよかったものである。ここも文化局の懲役2年以上8年未満という看板があった。で森も周りに残っている。文化省頑張ってると思う。おっさんはなんだかんだでポルポト時代が一番動物も多かったなどと言っていた。今はいなくなったと。強制労働で行動制限されていて取る暇もなかったのだろうけど…

そして10年前からの宿題がまた一つ片付いた。
ここは碑文があるので帰国後やって見ましょう。