カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

2018年乾季の旅-1

帰国したのでまた今回の旅を画像で振り返り。

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Preah Vihear の階段
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Preah Put643 IK329.02
ほんと目が悪くなって写真見返したらめちゃくちゃである。。
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シヴァ神ヴィシュヌ神が出土した地点などのUTMも書いてあるが行っても当然何もない川岸で、藪の中だった。しばらくうろついてみるが丸木橋を渡ったり大事である。


このあとVen SauiからTuol Kalay Ta Vang 3856を探しに行くがCISARKさんの位置がやはり不確か、
というかUTMのCRS(coordinate reference systemがIndia 1960とかいうカンボジアの地図で使われてるtypeでWG84でUTMから位置変換しても意味なかったことに後日気づくのはアホであった。
それにしてもここの南方に意味ありげな地形があって気になってしょうがないが、道もなく川に阻まれ断念。
この一帯がいずれ精査されることを祈る。

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Phum Zhen Thmei Kraom
カチョ族の村に行ったのち寄ってもらった。
グーグルマップでChinese Villageとあるところはもうラオ族の村である。
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漢字でこんな書くのかと感心した。

Phum Ta Veng
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村はずれの軍の事務所かなんかの横から
対岸はカンボジアで一番広いVirachey国立公園 自然保護区で密林を彷徨うツアーで西欧人中心にそこそこ人気があるらしい。
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村の入り口のゲートにあった看板だが・・・ちなみにヤックロム湖には同じもう少しましなのがあった。

何の変哲もない村だが現代史で外すことのできない村である…。

このあと道がそのど真ん中を通っている、Veal Ram Prang つまり火山の噴火口か溶岩の流出跡か
を通るので寄ったが自然史的な意味はあるか?
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ラタナキリ州文化局
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州内にある考古学サイトの地図。

東から

Prasat Yak Nang

Phnom Kwan(もしかしたらクラチェで聞いたPhnom Kuはここのことか?)

Yak Pueng(Pnov Pueng)
Pnov Sop Yak Pueng?であってるか不明。

二か所ともTampuon族の言い伝えで古くから墓と言われてきた塚。
伝承があるのだろうがわかい兄ちゃんは知らなかった。

Prasat Au Preah アンコール時代の石と基壇くらいは残っていると文化局。車でも行けるというが
道が見えない。

Preah Putは既知。逆にTuol Kalay Ta Vangは記されていない。

Prasat Bak Ya;ng ここは文化局のパッさんは行ったことがないと知らなかった。

ラタナキリの英語wikiとか見ると歴史的に中央集権が届かなかった場所みたいに書いてあるが、
とんでもないことだけはわかる。

廃都LumPhat
アメリカの空襲で消えた、もとのラタナキリ州の都。
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あまり現代の廃墟は、むなしく生々しいので軽軽に取り扱えない。
廃校の近くにも爆撃痕はちょっと刺さる。

あとはTaiTai急流
Katieng滝
Kachanh滝 ここらは観光地でロケーションはいらないだろう。
Kachanh滝は吊り橋もかかっててなかなか面白い。
ラオス仏教のお坊さんがいらしたので道を譲ったら祝福を受けた。
ありがたいことである。

Yak Rom湖を観光して歴史とはいまいち関係ないので割愛するが、
Katieng滝の少数民族の木工紹介するような小屋で
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ちょっと待ってほしい。

少数民族がこれを作るということは、
お手本にした石のヨニリンガがあるはずだ。
どこかの森の奥で遺跡を見つけてその中に祀られてるヨニリンガを見て
何の意味か分からなくてもまあ性的なものから子孫繁栄、日本でも同じだが
それをもくろんでマネして作ったのではないかと。

想像して近くにいる少数民族の人に尋ねようと思ったが、
滝の駐車代徴収人と観光客がいない売店の人も
若い女の子で、聞けるはずもないw

結局どういう意味があったのだろうか。
どこで彼らはヨニリンガを知ったのか?

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紆余曲折は日誌に書いたが
Prasat Yak Nang
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昨日の答えのヒントかもしれない。
プリミティブで特異な、見たことがない外壁の装飾。
チャンパも関係しているだろうと文化局のパッさん。わたくしも同意見。

ここにはかつて碑文もあったと古老が言ってたらしいが
あちこち転がって行方知れずになったとのこと。
是非とも見つけてほしい。文化局もみつけたくてたまらないらしい。


自然のものだが日誌に書いた通り、Tampuon族の言い伝えの地で聖地というわけでもないが(なにせ盗掘したらしいし)、現地の管理人がわたくしたちが勝手に行ったと思って血相変えて飛んできた(単に彼に連絡がつかなかっただけであるが)ので事前に文化局通じて知らせたほうがいいだろう。
ここは画像もやめておく。もしラタナキリ州がTampuon族と話し合って観光地にしたいのなら話は別だが。