カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

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朝コンポンチャムを出てSuong でドリアンを買ったらパイリンからという。ご当地産じゃないのかと聞いたらコンポンチャム産は来月出るとのこと。去年2月に食べたのはどこのだったのか。

73号線の手前に片道3車線の大きな道路が出来ててロータリーや謎の巨大な建物がいくつかできているが、まだ区割りされてどんどん出来そうである。周辺の土地も絶賛売り出し中でなんというかあっという間に森や原野が大都市になるんだろうか。

それはともかく道行きにハチの巣やジャックフルーツに似た表面が滑らかな果物売っててあまり美味しくないと言う話だったが、ためしに買ってみようと思ったら、その後屋台が途切れた。
しばらく行くとまた別の、似たような果物の屋台があるため、買って見ることに。

トゲが小さくサイズもあまり大きくない緑色のジャックフルーツ擬きだが食べてびっくりすることに、ジャックフルーツとドリアンのいいとこ取りをしたような甘くて美味しい果物だった。

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すなわち、実はジャックのように小分けされているがアレみたいに大味ではなく、ドリアンのように甘くややねっとりしている。しかし、ドリアンのような強い匂いはなく若干ドリアンみはあるがもっとフルーティである。ただゴムのような樹液は茎から出ててべとつく。

だが、美味しい上に値段も安い。
1kg1ドル。ドリアンの10分の1である。
コンポンチャムのこの辺りでしか見られないようで運転手氏もお土産に購入している。
このフルーツの名前はと聞くと
トヌートゥーレン つまり

ドリアンのジャックフルーツということでまんまである。が、また食べたいもんである。
誰一人理解不能な果物の長駄文で終わりそうだが。



メコン河畔に出て村に謎の円塔。昔の銭湯の煙突のような形だがそれより大きく天辺に何かある。
フランス時代か?灯台か不明。コンクリートである。横に途中までのものもある。

昼前にクラチェに着いてそのままKampi へ。

Thma Krae
メコン川の水位が低そうなので
途中またThma Krae の碑文探しに行くが下流からあらわれたおじさんによると、やっぱり沈んでいるとのことでおじさんのいう場所はちょっとあっているのか不明だが4月の正月あたりには結構碑文見に来る人がいるらしい。

年々不安定な岩場でグラグラふらつくようになってくのが自分でも情けない。


お寺もBurguier氏の本にもちょっと登場した民家の中の遺跡も、ついでにいつも目の前にあるのに行かないPrasat Neang PouもスルーしてKampi に降り立つ。がその瞬間客引きに取り囲まれる。

雨季が始まり、川の水も濁り、やはりもう雨が降っているのだということを本日カンカン晴れでうっかり忘れてた。

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あまり良い写真ではないがまあ。


やはりこれから水位が上がるので5月いっぱいで、こんなに展開している川床の小屋を片付けるとのことで、すでに一部解体が始まっている。半年は休業とのこと。

さてSambourへ向かうが途中Koh Sam Thomが見え、思いつきで村の人に頼んで渡してもらうことに。おじいさんが二人昼間からビール飲んでいて、遺跡なんてないとかたや言うともう一人が私の肩をバシバシと叩きながらあるあるという。後者の方が酔っ払って不安だが舟を作ってた若者達は知らないとのこと。だが舟持ってるあんちゃんに頼んでくれてちゃっかり対岸の寺とセットで行くことにし、若干ねぎって出発する。
Koh Sam Thom
北端の砂浜に上陸しすぐ南に丘を登るとほどなくラテライト列とラテライトを基礎にした小屋があり中に円形のヨニや何かの残欠が置いてある。ブラウマ神像が出土したらしい。ここがメコンのヘソか?
さて舟に乗ろうとするとバランスを崩し片足メコン川に突っ込む。さらに船のエンジンがかからずしばらく修理待ち。まあちょっとしたトラブルはどうとでもなる。
それにしてもこの辺り随所に川面から杭状の岩が出てて不思議である。島の北にもありあんちゃん曰く年々大きくなってるという。ここでもThma Doh育つ岩の伝承である。

Vat Peak Yek
対岸の寺院で寺自体遺跡の上であろう。ラテライト列。僧院に台座がありジャヤヴァルマン2世時代の、とペンキで書いてある。
ただ本に載ってた石柱は前代の住職の時までしかなく不明とのこと。明日博物館で調べる。
ここの見所は本の写真ではわからない、北のネアクターのところにある3基のリンガ状の岩である。もともと四基だったかもしれない。リンガかどうかも不明で船頭のあんちゃんはカマドの五徳の大きいのに見えると言う。見晴らしもいいし火を焚いて灯台にしたのかも知れないがどうだろう。
帰りにSambour方面から西欧人女性二人を乗せた屋根付きの舟が下って来たので、クラチェでレンタルできるのであろう。どこまでいけるか不明だが行けるなら

Sambour
Don Meas 本の位置が多少ずれていて放牧地の柵を大回り。また見つからないかと墓地を抜け丘状の放牧地に入ったらあった。ここも広い。
石材が四周に点在しレンガ列も見える。東のエントランスにはソーマスートラ。しみじみ見てたら放牧してたおっさんが南西から石柱の残欠持って来て放り投げてみせる。親切はありがたいが動かしたらちょっと困る。まあオリジナルの場所はもう不明だろうが。
中央祠堂のあとの西に水たまりがあって水牛がどっぷり浸かっていたので深いのであろう。

Ta Auk
ここは本の通り。木が目印。ただしグーグルマップには見える小道は消滅してなんか開墾か開発中である。レンガと台座、祠堂跡と思しき場所は盗掘穴がまた水たまりのなっているようだ。土器片がわずかに見出せた。
まあどこに行ってもトラペアンだらけでどんだけこの女王の都は栄えていたんだろうか。
これでSambour の遺跡は全て回ったがなんかまた来そうな気はする。
Vat Sadat Moui Roi また参詣して碑文やシンハなど撮って河畔の元展望台に。工事は遅々として進まずなんかコンクリートで建物建てるような雰囲気でもあるが1年ちょっと経って基礎の柱→土台だけと言う状況。まあおかげでまたメコンの夕照がじっくり見れたが。

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