カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

2018年雨季の始まりの旅 1

えー
帰国してすぐまとめりゃよかったのに、昨日はさぼったり絶望したりしてたら、
今朝に入ってまたCISARKさんが逝っておられます。
(追記 今回は1日で復旧)
まあまたしばらくしたら戻るでしょうが、戻るたんびにデータがどんどん損耗してるような気がするので
不安ですね。

てことで先に登録番号などを写して画像は後回しにしてたらいろいろ体調不良等あり(1日で復活)画像貼るのは週末にまとめてさせていただきますので、今はまだ見ないほうがいいかもしれません。



4/29
プノンペン国立博物館
イメージ 1

ヂョルジュ グロリエ のKompong Cham の珍しいタイプの遺跡のスケッチ。
遺跡自体がこのまま残ってたらさぞやよかったんでしょうけど。

4/30
Kandal
Vat Preah Vihear Suor(Suot) IK.125 CISARK106
イメージ 2

まあもう少し静かな時に見にいけばゆっくりいろいろ探せたかもしれない。
Burguier氏の本では碑文が載ってるがCISARKさんには未掲載。どっちにしろ見そびれた。

Vat Sithor ポストアンコールのStupaが目を引くが他にはなにも見当たらず。と思ったら碑文があったらしい。
K.111(所在不明),112
イメージ 3

Vat Mae Bang(Yeay Bang) IK124,CISARK 830
②と同じような時代16C~かのStupaと名前の由来となったMae Bang という、遺跡の上に立ってたStupaをそのまま本堂で囲って祀っている。もともとは地図で見る通り環濠と参道を持ったアンコール期の遺跡であっただろう。言い伝えとか聞けばよかった。
イメージ 4

本堂内部に祀られた、ちょっと特別なStupa、これがMae Bang(Bang かあさん)である。
Prei Veng
Vat Prei Phnov IK66.01 1694 Vatではなくvitalay(高校) Prei Phnovの中の祠がストリートビューでも見れる。
のと日誌でもあげたので画像省略。

Vat Prei Sla IK66 356
こちらも寺院の東南。かつてはまだレンガ塔があったらしい。
イメージ 5
レンガ塔は彼の後ろにあった。

EFEOの画像では祠堂があったのが何とももったいない。

寺院敷地は一段高くその周壁もレンガで重厚に作られていた。
Vat Po TI IK67.13 ,2070
特に遺跡はなく、古いレンガの窯跡があったがブルドーザーで平らにしたという。クメール人が窯とか井戸と言うと大抵祠堂であるが。
CISARKさんによるとStupaだったらしい。
イメージ 6

1958年に建てられた、現代のレンガのViharaで、このレンガの窯だったのかもしれないが。

遺跡ならBan Chorに行けと言われる。
Vat ??
グーグルマップ見て期待していったが何もなくやはり中学生たちにBan Chorに行けと言われる。

そのまま北上し懐かしきPreah Saochが見えてああ、Ban ChorてPreah Theat Prei Thungのある場所かと
。。
この一帯一番の見どころではあるが前回行ったのでスルー。なにせ
Vat Prasat CISARK3455に行かねばならない。
イメージ 7

Vat Chey Monkul Vat Chrei Khmum ニシキヘビに遭遇したかったような気もするが。
イメージ 8

Neak Taに仏像トルソーのみでCISARKさんのとおり。仏像はBayonか?
⑩Vat Ponleong 特に何もなし。
Vat Prei Svann 特に何もないがグーグルマップで見ると遺跡であっただろう。

Vat Phnov
IK67.04 361 碑文K.68
イメージ 9
碑文もだが、
リンテルが7世紀の寺院であったことを示しており、
この一帯は7世紀の遺跡が集中しているということになる。

Vat Indrakalaがメインの名前IK67.05 1472
碑文出てると思っていったが特に何もなし。碑文も出てなかったか。
イメージ 10