カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

Prasat Yak Nang nau Ou Ya Dav ,Ratanakiri その3

しばらく途絶えてましたので、続きというかまとめたいと思います。

散々グーグルマップにTak NangじゃなくてYak Nangだと言ってたらやっと昨日くらいに
訂正されてました。
よかったです。


と思ったら書きかけのまま公開されてましたね。失礼しました。


でまあ一基のみの主祠堂をぐるぐる北西から反時計回りに正面東側まで回ったところで止まってました。
ので、最後に西面など見てみましょう。

イメージ 1


こちら側は南側のリンガと違ってSema(結界石)ないしは何か別のものが意匠されています。
土台まで再現しているのが見て取れます。
レンズが汚れてるのもわかります。。


イメージ 2


これが未完ではないのは南面のリンガから推測されます。

このような装飾はどこかで見たようで見たことはありません。
イメージ 3


また破風の部分の装飾もちょっと変わっています。破風というより偽柱の延長のように、エンタブラチュア的なふくらみを持っているまではよいですが、そのふくらみのみを以て破風の装飾としています。
ほんと類例を見ない構造です。
それにしてもはやり基壇の、特段装飾はないものの見事な段差で飾る演出は見事です。これはチャンパではどうでしょうかね。新しめのチャンパの遺跡しか知らないのですが。

イメージ 4


それと偽扉というか側壁の窓の部分がこうやってみると微妙に歪んでいるようにも見えます。
これは故意なのかやってしまったのかは不明です。

あと思い出したので追記ですが、
この壁をやたらお供えしたりして信仰してるのはやはりクメール人が多いようです。ジャライ族のみなさんはあまりそういうことはないようですが案内してくれたあんちゃんはなんか祈ってたような・・・
もう少しいろいろ聞いておくべきでしたね。。

イメージ 5

内部に入って前室、エントランスを見ていますが、ここら辺はほかのプレアンコールの祠堂のように分厚く重厚に作ってあります。

イメージ 6

壁から屋根にかけてのせり出しレンガ積みですが、プレアンコール期の祠堂に見られるフックやその穴などはよく見えませんでした。

イメージ 7

内部は以前提示したように南北の側壁に龕がありますが、

イメージ 8

わたくしの物差し代わりの7寸,と思ってたら8寸でした-扇がぴったり入る幅で、小さいです。
高さも30cm強でしょうか。

この大きさに入る神像といえば、石像というよりは青銅像だったのかもしれません。
祠堂内部には台座となる岩もなく、周囲にも見当たりませんでした。

見つけられなかっただけかもしれません。

こんなところですが、

この遺跡お年寄りの話では以前は碑文も落ちていたそうです。
しかし、転がってどっかいってしまったとのことで、
それを聞いたのは帰途でしたので探しにもう一度行ってみたいものです。

イメージ 9

ただ、このように周囲は叢や木々に覆われているので、わかりにくいかもしれません。



この遺跡がこの地域に住んでいるジャライ族のみなさんから、カンボジアの文化省に知らされたのは
2010年とのことで、それ以降ちらほら見に来る人もいるようですが、
なかなか道はハードですので乾季から、地元Ou Ya Davやバンルンの人もそこそこ遊びに行くカンボジア正月あたりに行くといいかもしれません。

いずれにせよ今後の研究が俟たれるところですが。
日本にこういうの研究してる人今いるんでしょうかねw
パルマンチエやラジョンキエールなど近世のフランスに染まっていない貴重な、他に類を見ない遺跡だと思うんですが。。

ということでとりあえずこれくらいで終わりにしておきます。