Preah Put(Kompong Cham Kau) nau Kalay Ta Vang,Veun Sai,Ratana Kiri その1
引き続き、ラタナキリの重要な遺跡であり、既知のPreah Putこと、Kompong Cham Kau CISARK643 IK.は当時は属していたStoeng Trengの項目で見いだせず不明ですが、ここについて記しましょう。
あらかた書いて未完のまま寝てしまいましたので追記しまくっております(7/3)
驚くべきことに旧名のKompong Cham Kauで検索するとアメリカの、たぶん軍事的な情報からでしょうけど、訂正;この一帯が表示されます。(:正確な位置ではありませんでしたので訂正いたします。失礼しました。)
それにしても2月に行って帰ってグーグルマップ見直してたら南のジャングルが全部プランテーションになっててびっくりですね。
ただ、そのプランテーション側からダイレクトに入るととても大変なことになるだろうと思われますが。
遺跡にいたる道もほとんど消えており、違法伐採の木に向かって辛うじて踏み跡があればいいほうで、
森の中を強引に藪漕ぎしていくことになると思われます。
遺跡にいたる道もほとんど消えており、違法伐採の木に向かって辛うじて踏み跡があればいいほうで、
森の中を強引に藪漕ぎしていくことになると思われます。
さてわれわれは
(画面←側はKalay Ta Vang村をCISARK3856を探してむなしくさまよった跡ですので無視してください)
(画面←側はKalay Ta Vang村をCISARK3856を探してむなしくさまよった跡ですので無視してください)
Veun Saiへと向かう道から西に遺跡へ通じてそうな道を入りましたが、ほどなく幅がせまくなり、
崩れかけた木の橋などもあるので、かろうじてある人家から歩きはじめます。
が、じわりと丘になっており上ったり下りたり登らなければなりません。
しかも木は伐採されて畑になっており日陰がありません。
とはいえラタナキリで2月で、かつ今年は異常気象のためさわやかです。
崩れかけた木の橋などもあるので、かろうじてある人家から歩きはじめます。
が、じわりと丘になっており上ったり下りたり登らなければなりません。
しかも木は伐採されて畑になっており日陰がありません。
とはいえラタナキリで2月で、かつ今年は異常気象のためさわやかです。
じわじわ近づいてくると森の中に入り、
突如として
この黄色いピンのところに坂を上りきって
最初のTombong Kruhはちょっとわかりませんが、基礎の地区?なんのこっちゃ。
この黄色いピンのところに坂を上りきって
最初のTombong Kruhはちょっとわかりませんが、基礎の地区?なんのこっちゃ。
Prasat Preah Puth
と書かれてます。
と書かれてます。
下は所在はKalay Ta Vang ,Phnom Kok,Veun Sai地区、Ratanakiri州、とまあ書かなくてもいい気がする住所ともいえぬ所在地情報を書いてます。ええ、現地近くで。
こんな看板があるのならそれなりに観光地化されてるのでは、と一瞬でも思ったのが間違いでした。
あとで分かったのは文化局の仕業でした。
(追記;まあこっから先は遺跡の領域だから下手なことするなというシマの主張のようで、
後日文化局で聞いた話では、現地のみなさんとの諍いの元にもなっていることが判明しましたが)
(追記;まあこっから先は遺跡の領域だから下手なことするなというシマの主張のようで、
後日文化局で聞いた話では、現地のみなさんとの諍いの元にもなっていることが判明しましたが)
この看板、何の意味もありません。
他に書くことがあるのではなかろうか、たとえばこの先1,5㎞とか。。。
この看板の東横に東屋があり脇道がありますが、罠でしかありません。
この看板の東横に東屋があり脇道がありますが、罠でしかありません。
まだまだ遺跡へは脇道に入るタイミングではありません。
ここは勘が働き、だまされずに済みました。
ここは勘が働き、だまされずに済みました。
もう6,700mはなんかしてここぞとばかりに分岐を東に分け入ります。
けもの道がある程度ありますが、それをずっとたどると東に逸れるので、
かすかな踏み跡を南に進みます。進むにつれてどんどん森に入ります。
けもの道がある程度ありますが、それをずっとたどると東に逸れるので、
かすかな踏み跡を南に進みます。進むにつれてどんどん森に入ります。
その中でもなんとか人跡を探しつつ進んで行かねばなりませんが。
途中で人跡が途絶えます。
途中で人跡が途絶えます。
画像がぶれまくってまともな写真が半分くらいしかありませんが、
こんな感じの森の中を進みます、ええ前に。
・・・
グーグルマップのヴェトナム人と思しき人のバグったような意味不明の口コミと、たぶんその人が登録したであろう位置が正確であることを祈りつつ進みますと、
何とか、遺跡に取りつくことができました。
あとで思い出すに東側から遺跡のレンガを見出し、丘を見出し、さすがに遺跡の高台の下の、南側にはけもの道がそれなりにはっきりありました。ただしこの道はさらに南で消え、西へは遺跡の下を北上してどこか関係ないところへと延びているようでした。:最近あやしくなりつつある記憶とGPSが森の中では機能しておらず追跡できてないですが、なんとか後に図式化しようと思っております。追記。
プレアンコール期のレンガはアンコール時代のそれに比して大きいんですがここのは格別に大きいです。
東から高台の丘に上がって、北側に一列に並ぶレンガの壁のような構造がなんとなく
見てとれましたが、正直なにがなにやらわからない状況です。
東から高台の丘に上がって、北側に一列に並ぶレンガの壁のような構造がなんとなく
見てとれましたが、正直なにがなにやらわからない状況です。
ぶれまくってますが、手前にレンガの畝というか土壁のような構造、その奥は谷に落ち込んでいます。
中心についたつもりでしたが、前半は北側ばかりみていたようです。
CISARKさんのかつての記載では
どうもレンガかなんかの土壁が1㎞以上はあったらしいなどと書かれていましたが(しかも高さ3mになんなんとする:うーんどうでしょうね)
消えているので確認できません。
それを探して彷徨い、ついでにまたUTMで
701124-1534786の南東の盆地でシヴァ神が(もしくは池のことだったかもしれない)
どうもレンガかなんかの土壁が1㎞以上はあったらしいなどと書かれていましたが(しかも高さ3mになんなんとする:うーんどうでしょうね)
消えているので確認できません。
それを探して彷徨い、ついでにまたUTMで
701124-1534786の南東の盆地でシヴァ神が(もしくは池のことだったかもしれない)
本日は前説ですので、短めで終わります。
次回以降何をやってんだ、という話を進めたいと思います。
次回以降何をやってんだ、という話を進めたいと思います。