カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

2月3日

書いてる途中でねたら消えましたね。

コンポンチャム州Kompong Siem

1.Vat MoniSarawan Vihear Thom
昨春プノンペン国立博物館で見たグロリエのスケッチ、今となっては所在不明の遺跡二つの丘陵をうがつ窟状の遺構
Vihear Thomをちょっと探してみようとやってきた。道すがら遺跡だったお寺二ヶ所ありのちほど。
この寺自体遺跡だったかよくわからないがここら一帯ラテライトが多く、そのためこの寺の
祠にラテライトで出来た破風が祀ってあった。なんとSPK様式の。にやけて写真撮ったりしてたら古老がやって来たので遺跡について聞くが近くに石が落ちてる場所はあると言う。
いずれにせよこの寺は平坦で丘もないのでその聞いた遺跡、.
2.Tuol Preah Theatへ

田んぼのなかに丘がありさらに小高い東西二つの丘それぞれ前衛 南北に3基あったであろう祠堂
先ほどの古老のはなしではポルポト時代に上が壊され内戦後下を盗掘され壊れた。と言う。
その盗掘穴であるがなぜか丘正面から横に開いている。そして上はというとラテライトの天井があり
オリジナルと見てよい石材の並びさらに一枚のラテライトの薄い石板がおいてある。
してその上にバイヨン様式の状態のよいリンテルが祀られている。
色々なぞである。帰国後検証してみたいがやる気が続くか?

3.Vat Preah Houch
ここまで意外と遺跡がコンパクトにまとまっているので一通り行ってみることに。いっかしょぬけたが。
この寺は集落の外れの寂しいばしょにあり寺のお堂も、中尊寺的な二重構造というか
中に朽ちかけた木造お堂の枠が残り外はもうなん年も工事中のまま放置されてれんががむき出し屋根も骨組みだけで、むしろ建設中というより廃寺の雰囲気があり、それがなんとも言えないわびさびを感じさせる。
お年寄りがやって来てお経を唱え始める。寺の前で水牛親子が繋がれ休んでいる。30台くらいのあんちゃんが見ている。のどかな空虚さが実に染みる。寺の前に池が枯れて田になり
その南西岸遺跡の前にはいくつもの陶片がありアンコール期のものである。

お年寄りの読経が終わるのを待っていたがなかなか終わらない。御本尊は新しい仏像だが傍らに台座と座像の残欠が見える。邪魔しないように忍び寄り写真を撮ろうとしたらお年寄りが読経をやめてポルポト時代に壊された、と微笑んで仰る。なんか悪いことしたがその後外にいたあんちゃんもきてふたりで色々教えてくれた。そして
御本尊の後ろ台座が3基なんと中央には八角の神像が施されたリンガがピダンにくるまれてヨニのうえに立てられている。ちょっと驚くことにリンガヨニと言ったのはあんちゃんだった。
リンガは一見石柱にみえるが上部が丸く下からは見えないが装飾がてっぺんにあるのは横から見てとれる。
じろじろ見ていたら覆っていた布をはずしてくれた。やはり全周八角で溝状に装飾された下はなんとデヴァダ座像が囲んでいた。元々寺の南側の外にうち捨てられていたとのことで状態は今一つかもしれぬが立て続けに珍しい遺物を見せてもらいありがたい限りである。

それにしても村外れとは言えこの寺は無人で僧侶もおらず(建築中でも僧房があってお布施集めたりする)荒れ果てたようになってるのはなにゆえか。
聞くとこの寺には御坊さんは措かない決まりになっているらしい。
というのも、おこの90近いおじいさんが子供の頃さらに伝え聞いたというほどの昔、
この寺の若い僧侶と村の娘ができてしまったらしい。
それで娘の父親が怒り娘を殺して破戒の僧侶もやめさせられ、こんなトラブルはもうこりごりと村でこの寺には僧侶にきてもらわないことにした。とのこと。
あんちゃんもおじいさんもふたりで語るので本当に掟になっているのだろう。
ただそのために資金集めもはかどらないなると思うが、あんちゃんは、昔は外壁のレンガの本堂もなく
この木のお堂のみで柱に上って遊んでたもんだと笑い屈託がない。

色々興味深い話を聞かせていただき感謝しつつさる。

4.Vat Anduong Svay
ブルギエ氏ラテライトの丘陵を北に持つこの寺をVihear Thomのあった場所ではと推測していたようだが
Phnom Anduong Svayというこの丘を上りきってみたら謎の小屋が建っていたのみだった。
寺のネアクターにはCISARKさんとおり神像の足。
5.Vat Krala
遺跡は寺のしたか痕跡はないが本堂のセイマー台座八方のうち北以外全部アンコール期のもの。
立派な菩提樹が幹を広げている。

Memot
6.Memot archeological museum
グーグルマップでは営業外になってたが普通に毎日開いている。
シハヌーク時代のコロニアルな二階建ての博物館で急な階段を上ったら展示室になっている。
KrekやMemotの先史時代の石斧や土器、考古学自体の紹介のパネル展示があり興味がある人にはたまらない。Malleret からおきまりの早稲田 ハワイ大学の成果もしょうかいされている。

ドイツなどの援助で作ったらしい。
近年は啓蒙の賜物か村人が出土物を寄贈したりすることが増えている。
むしろ盗掘より無軌道な開発の被害がおおきいようである。立派な冊子や何故かシソフォンに出来てるバンテアイミンチェイ州博物館のパンフまでもらった。有難い。

途中で小さなドリアン売ってたが通り過ぎて徐々に丘を登り降りしつつ標高を上げ丘の斜面に広がる町センモノロムに着いたのは夕闇の中であった。街中のホテルーゲストハウスもかわりないだろうがーに泊まるが5日からは満室という。中華正月でえらいことに。ラタナキリのホテルに慌てて連絡して明日一泊分は取れたがやはり5日から満室という。しかも値段が上がっている。中華系カンボジア人が旅行しまくってるのも一因である。
来年からチュナムトメイチェンはさけるべきだろう。
クメールキッチンというシェムリアプにも同じ名があるが無関係な食堂でまた鹿など食べるがk外人向けで微妙に高い。
食後にこれも外人向けのカフェでモンドルキリのコーヒーでもと頼んだら泥水のようなのが出てきた。
コンデンスミルク缶ごと持ってきたのでやむなく淹れてすすってると隣のフランス人夫婦の奧さんが缶に興味あるようで見てるので見せる。ミルクコンフィと言ったら旦那共々通じたようなのでまずいですと一言付け加えておくのは余計なお世話だったかもしれない。明日は絶対まともなコーヒーがあると信じてトボトボと宿に戻る。いろいろロンリープラネットに載ってるようなカフェは店じまいが早く閉まってたのも敗因である。