カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

2/4

センモノロ
朝食もやむなく昨夜のレストランで取り文化局に向かう。丘を下って登って本当の町外れにあり扱いの悪さに気の毒みもある。

若奥様とあんちゃんと二人の職員さんが対応してくれ、遺跡の地図はないのか聞くと遺跡自体ないし、という。当然文化局にも遺物はない。
しょうがないのでKoh Mayeul について聞くが知らないという。何があるのかと逆に聞かれるので大きい石材が落ちてて昔はCISARK に載ってたというがCISARK 自体知られてない模様。
二人とも若いのもあるがM.Burguierが行ったのは確か2006年であるから無理はない。しかしこの若奥様が非常に親切というか興味があるのか村長の連絡先聞いて電話したりしてくれた。村人も知らないと言ってるとのことで最後は局長さんに電話して聞いたら流石に局長さんは話しは聞いたことがあるが場所は分からなくなったとのこと。この地区であるKoh Nheakにレンガの塔の跡があると聞いたが、探してるものの今のところ見つからないという。そこはなぜかデータが消滅し続けるCISARK サイトに唯一残っているモンドルキリ州の遺跡?であるが、ブルギエ氏が聞き取りした頃からガセ臭いと思う。
ここで話は止まってしまったが、
そういえばクラチェの州境に近いメマン村に碑文があるという。クラチェと同じ碑文、あっちは6個モンドルキリは一つのみ、という。
しかし文化局の二人は実見したことはないという。
昔一度村から文化局に収蔵されたらしいが、
村が日照りになってしまい碑文が村から無くなったせいだということになり、返してくれ、と言われて返して今は役場に保管されているという。碑文の力恐るべしである。

スマホに写真は持ってると言って見せてくれる。
クラチェに収蔵されていて去年プノンペンに修復に出された碑文と同型の、上に飾りのついた字体も崩れている碑文である。
てことはこれもかつてはCISARK さんに載ってたKaev Semaの3箇所のサイトの一つであるところの碑文であろう。
聞くとやはりKaev Sema地区のMemang村の役場、と言う。

その村まで行けるのか聞くと最初はバイクで行かないと厳しいと言ってたが若奥様がテキパキとあちこち電話して調べてくれ車道ができていると教えてくれる。仕事ができるのであろう。

Kaev Semaは昨日通り過ぎていったのでそっちが近いのではと聞くが7号線から入っては遠回りで道が厳しく無理とあんちゃんがいう。
それよりも、この文化局の前の道を西に行く道が近いという。2時間弱というので行くことにした。
あんちゃん共々若奥様ーテラ女史と最後に名前がわかったが非常に親切にしていただき厚く礼を言って出発した。
道自体はトラックが往来するような道だが上り下りが多く特に谷に下りると雨季は間違いなく水没して遮断される。
まばらながらも集落があり聴きながら行く。
道の両側は開拓伐採されて無残だが丘に上がり遥かにうねる山陵を見ると深い森でSamouth Chu 木の海と形容されるのも宜なるかなである。
道端の木には鳥獣保護区と狩猟禁止の看板が間隔おいてかかっているがどうなのか。
教わった通り2時間弱で丘を下りて平地の集落Memang 村につき村役場、と言うほどでもない小さな建物に着く。
がだれもいない。
事務所らしき部屋は開けっぴろげで隣の部屋は鍵がかかっている。
この中に碑文がある。壁に携帯番号がチョークで書いてあり連絡してもらうと村長など鍵持った連中は街に出かけて不在で万事休すである。

のだが。
実はドアは鍵がかかっているが格子窓の木の鎧戸は開けっぱなしで先程から部屋の中が丸見えなのである。
碑文がなるほど祭壇のようなところに祀られて置かれており正面に見えているのだ。地べたにだが。

碑文の上にも窓があり木の扉が風で閉まったりすると真っ暗だが外から開けられるので開けると光が入りそれなりに望遠で全容が写せる。
なんとか撮影してるが明るさが足りない。と運転手氏が碑文を窓からアイフォンのライトで照らしてくれ、その瞬間文字がくっきり浮かんで見えた。

そのおかげでなんとか碑文のほぼ全容は撮影したので戻る。山あり谷ありであるがいろいろな地層があり道の様相もガレ場土こなのような砂と変わる。
が帰りは1時間ちょっとで戻ってこれた。通り過ぎる文化局に手を合わせて感謝であるが昼休みでみんな昼飯食べに帰宅してるだろう。

昼飯屋を探してたら覗きに行った小さな食堂の兄ちゃんが勝手に飯ついで置いたりしてやむなく食うが不味い。水が悪いとサムローなどアンモニア臭くてアウトである。
しょうがないので蒸してたどこでもある肉まんをかじり退散す。
飯がまずいと我ながら不機嫌で度し難いが気晴らしに市場を散策す。

特段珍しいものは見出せなかったがゼンマイが売ってあったのは山の街ならではでガイド氏もゼンマイを知らなかった。
市場の中に場違いなほど洒落たカフェがある。
MKカフェというらしい。横にショップもあって豆売っている。豆を売るような店ならちょっと期待して運転手氏も呼んで入る。二人はアイスカフェオレをわたくしはエスプレッソとチョコレートケーキ頼む。

感じの良い店員の女の子にいろいろ聞いてMKとはモンドルキリのことらしい。ピカピカのコーヒーメーカーというのか知らないが機械は4万ドルしたらしく自慢らしい。
コーヒーはやや酸味が強いが昨日に比べればまさに雲泥の差である。ただ昨日の店もカフェと言っても実際はカフェバーで飲み中心の店ではあった。
シェムリアプから来た二人はアイスカフェオレというか長いグラスにコーヒーとミルクが分離してて見た目が良いーを前にかっこつけて写真撮りあったり楽しそうでなによりです。味も!香りがいいと喜んでいた。私もカッコつけずにそっちにすりゃよかったと思いつつエスプレッソをチビチビ啜ってると店員さんがお茶持ってきてくれた。タダという。
飲んでみたらこれはなんとも蓮の香りがくどくもなく全く渋みもなくまろやかで台湾の文山包種にも引けを取らない爽やかな美味さである。ガイド氏も一口飲んで感動している。
この茶も横の店で売ってるというので買うことにした。淹れ方も教えてもらい頭に入れる。洗茶がポイントのようだ。
礼を言って横の店に移動。断然コーヒー派の運転手氏は速攻で大きな袋を買っている。わたくしはコーヒーそっちのけで先に茶を求めショーケースを見ると、
あれま昨年食べさせて頂いた麝香猫様とその糞の未消化の豆が載ってる袋がある。

なんとまあインドネシアのコピルアックのカンボジア版である。本家はとんでもない値段であるがこっちの値段は250gで9$と普通である。挽いてあるので豆はないか聞くと別の店にあるが10$で高いという。あまり変わらないが移動するのも面倒だしベトナム式フィルターと一緒に買って宿で飲んでみることにした。本当にコピルアックかどうかは不明だが。
ちなみにアラビカ種、ロブスタ種とも育てているようで、考えれば東に行けばすぐベトナムのロブスタ種のコーヒー産地であるバンメトートである。ベトナムは知らないうちに世界2位のコーヒー産地となっていてアラビカ種なども作り出しているようで同じような気候地形のここモンドルキリでも力入れるにも当然である。が個人的には茶のほうも頑張って売れて欲しいもんです。
満足して店を出たがガイド氏が茶買いたいが淹れ方がわからないと心残り風にいう。茶筒に書いてるし買って奥さんに淹れてあげないと、とおちょくって買ってきてもらった。
(追記;シェムリアプのバーストリートの西のシヴォタ通り沿いの観光スーパーでも普通にここのコーヒーとお茶が売られていた。値段は1,5$程上乗せされていたが、まあ売れる所に出荷するのは当然でしょうね)
ラタナキリに向かう。
が途中とんでもないことが起きた。

路上に青い美しいとりが三羽いて一羽逃げ遅れて飛んだところに車がぶつかってしまった。ガイド氏が戻って確認するというのでバックしてみると外傷は目立たないが即死していた。
美しい鳥でレッドデータならなおさら面目ない。インコのような瑠璃色の羽を持つ全長50センチほどの鳥である。
死を無駄にしないためにも食べるか売るかしようと言ったが却下されてしまった。路傍の草におかれたので形ばかり読経擬きを上げておいた。
どうも反対側の森を野焼きしてるので巣を追われて路上に出てきていたようだった。
定命なのかもしれないが、
わたくしも含めて人間の業の深さを思う。

Koh Nheakに通りかかり遺跡について聞くが村人は、知らんしありゃみんな知ってると思うが、という。地区の役場に行くが夕方前なのにここも無人
田舎で明日中華正月だがカンボジア人には祝う習慣は本来ない。
どうなっているのか?

廃都ルンファットに差し掛かり夕日を見てあっと思い出し、川沿いのお寺Vat Arannaramに向かうと、思ったとおりSrepok川の向こうに沈む夕日が美しい。四阿などもあるが横の建物には水位計が付いていて壁の高さ2mくらいのところに赤い線が引いてある。
多分ここまで水がきたことがあるのだろう。川面から道まで10m近く高さがあるがさらにこれを超えて浸水するのか。

ルンファットが廃都となったのはアメリカの空爆による破壊もあるが、この激しい洪水のせいとも言われている。
とはいえ川沿いに家が並び女学生が自転車で下校しつつわたくしを不審者の如くジロジロ見ながら通り過ぎて行くのどかで穏やかな風情ある夕景からは想像もつかない。

ラタナキリは観光地で中華正月で主だった宿は皆ぼったくりのダブルプライスであるが宿の確保が急務のため昨年泊まったホテルに明日の問い合わせに行くと空いてるという、が値段は去年の3倍もする。
泣く泣くデポジットして抑える。ガイド氏たちはまた安いところ探すという。夕食を食べに昨年いろいろ食べさせられたレストランに行くとなんと店のおばちゃんがニコニコすしざんまいポーズで遺跡の人やんけと出迎える。あんたが行ったという遺跡あの後フェイスブックに載ってたんで見たわーという。昨年の文化局の話といいFB方が情報得やすいのか?にしても店のおばちゃん記憶力といい情報収集力といい恐るべしである。山の花Bhpar Phnom という店でそこそこ地元の人で賑わっている。
帰りに明日の宿の近くのこじんまりとしたホテルをガイド氏が問い合わせに寄ったらなんと空いててそっちは正月値段などなく15$から20$だったという。
わたくしもそっちにすりゃよかった。

宿に戻ってコピルアック飲んでみるとなるほど酸味など消え失せて優しい味になっている。
本物かどうかわからないが確かに普通の豆の味とは違うようだ。

遺跡は行ってないに等しいがやたら疲れた1日だった。