カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

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行くか行かざるべきか。
年々体力は落ちる一方である。

いけるうちに行くべきである。

ということでPhnom Treng MeanCheyの山上の寺院Vat Raan こと今はVat Thma Don Bei (Bei Don?)を目指す。ここも昔からAngkor Explores さんで見てて自分には到底行けないと思いつつ行ってみたい場所であった。


素直にこの山目指して直行しとけばよかった。街でもこの山上の寺院については知ってる人も多く、Vat Dambak Khmauへ階段上って登りそこからトラクターで移動できる、ただしわたしゃ行ったことないけど、という情報を複数得ていた。この寺への入り口の門、象が阿吽のごとく両側にあるのでわかりやすいが、その寺の入り口で、近くにあるPrasat Seng Kong について聞くが知らないと言われ、
もう少しTbeng Mean Chey よりのとこにアシュラムがあると聞き行くだけ行ってみたが、ただの現代の廃寺であった。しかしここの森で持て余してた蜂の巣の生きてる部分と団子になってなんかしてる蜂たちを 森へお帰り て感じで木に引っ掛けてきたのでまあ良いが。

さてこのプノンタベンミエンチェイの山上はプラトーになっていて少なくとも3カ所の寺があり1箇所は北方で行けそうにないが
Vat Dambak khmauへは情報通り麓からコンクリートの階段ができていている。この寺から目的地であるVat Raan ことThma Don Bei へは山道が繋がっており6kmほどであるが、トラクターで往復できるらしい、
と言うことで弁当持って眺めの良い山上で食べようと思ったのだが。

階段ができてるとはいえ標高差300m以上である。階段と言っても絶壁にへばりついた急登で、昔は山登りであちこち行ったりしてたというのに近年は無残な姿となり体力ないわたくしには地獄である。途中3箇所ある休憩の四阿で各々仮眠(冗談抜きに寝っ転がった)を取り、その途中も足が上がらず止まり途中おばさんがお経を一節唱えて若い女性が復唱しながらどんどん登ってくるのへ追い越され、降りて来たおっさんに中国人かと言われ、日本人と答えると第三次世界大戦て本当に起きるのか?となぜ一般庶民のわたくしに訊くのかわからないが真顔で尋ねられ、面倒なのでお寺で仏様お参りしたら戦争でも助かりますよと実に胡散臭いとってつけた適当なことを言っては呆れられ、日本は決して自分から戦争しないからわからないとは伝えておいた。カンボジアはそのときどっちにつくのかと聞きたかったがやめておいた。
まあまだカンボジアの人のわたくしたち日本人への好感情は変わっていないので今回も無力な庶民であってもわたくしたちに何か期待してくれているのだろうとは思ったが。

都合1時間の登坂のうち30分は休憩しながらやっと山上の平地についた。途中山上バイクタクシーの携帯番号が木に貼ってあったので写真撮ってこれはもう上では歩きたくないと心に決めた。が、階段を登りきった終点に売店がありそこのおばちゃんの話ではここからまた少し歩いて253段の階段を上らないといけないらしい。
がっくりしていると上の階段はそこまで急じゃないとのこと。

バイクが止まっているので寺までバイクで行けんのかと聞くがバイクでも人乗せて登り切らないから結局階段は自力で登ることになるという。しょうがないので森の中を歩くがこれはこれで心地よい。何せ山上で森の中で涼しい。
こんなに急でバイクも担ぎ上げたくらいの山上であると言うことは車も入れない。すなわち木を違法に伐採されずに済んでいるということで、くだらないラタナキリの某自然保護地区よりもよっぽどワイルドアドベンチャーである。
道も傾斜が緩やかで涼しい森の中を数百メートル進むとまた売店がありその広場が階段の上り口となっていた。しかしなるほどみるとそのコンクリートの階段の傾斜は先ほどよりはだいぶ緩やかで、ボチボチ歩いているとお堂が見えてきた。
この寺には特段古いものは何もないが(本堂にセイマーかなんか石板状の仏か神像の彫刻が祀ってありこれだけがポストアンコールか?)、本堂のテラスからの、森に覆われた山の眺めは絶景である。見渡す限り原生林という場所はもうカンボジアでも僅かである。モンドルキリ州でも開墾の土地が蚕食している。

一通り眺めて売店で休んできくと、トラクターは止まっているがどうも運転手に子供が生まれたらしく下に降りてしまったらしい。
杖をついたおばあちゃんたちー多分親戚一同の一行が歩いて次の寺を目指していく。私たちにも寺に行け!とおばあちゃんは言い残して行った。
と若そうな夫婦が2人で登ってきた。
売店の前の祠で奥さんの記念撮影してたので、ガイド氏に 2人の写真を撮ってあげるよう頼む。そこからいろいろ話をすることになった。どうも若そうに見えた旦那さんは私とほとんど同じ歳でプノンペンの有名なラジオ局の社長さんと言う。なんだか業界人ぽい感じで愛想よく自宅の洒落た写真やまぁニュースで見るような偉い人との記念撮影の写真を見せてくれる。奥さんが仏像を大事に抱えていてコンポンチャムで買ったと言うことで奉納しに登ってきたらしい。何の木かわからなかったが、芳香をはなっていた。
今は多分MBAーイマイチガイド氏は言葉を知らず訳があやふやだが会計の勉強してるが本当なら仏教やヒンドゥー教の勉強したいとのこと。
結婚の五戒の話やタイで得度した息子さんの出家の話ししてくれたがガイド氏には分からない話しだったようだ。知識人の話は難しいと言うがまあしゃあない。タイではSasna tessacho 宗教ツーリズムとでも言うのかーで観光客を呼びたいらしいが軍事政権の首相はイスラムなので無理みたいとのことである。日本の退職者とか金持ってるから呼び込みたいと言うが難しいだろう。タイの話が多いが社長さんタクシンのアシスタントしてるらしい。

ついでと言ってはなんだが、彼らの分も一緒にバイタク呼んだので待っているとやってきた。どうも連中は麓から歩いて登ってきて、あらかじめ山上に担ぎ上げたバイクを使って商売しているらしい。値段聞いてVat Thma DonBeiと滝ーいろいろあってどこの滝かわからないがーによってもらうことにして出発するが、程なく賽の河原のような石積みが多くある箇所に差し掛かる。なんか意味あるのか聞くと山からの帰りに疲れた時休んで遊びでやってるだけらしいので脱力した。
バイクは幅数十メートルもあるような一枚岩の砂岩の上や砂地、赤い橋を越えたりし、こんな山の上でも家が2、3軒は散らばっており驚くがほどなく建設中の寺の門に到着した。
その奥がVat Thma Don Bei である。Kulen Sankom Thmei 方面に開けて二段目の絶壁の上に大きな岩が斜めになっておりその南に岩穴があり、目的の、天井の彫刻、世界の中心に花開く8弁の花弁や三宝?などが彫られているが下の仏像が置かれ彫刻もオリジナルは朱の色が残っていたはずなのに金ピカに塗りつぶしてあり台無しになっていた。後から社長さんもきて興奮してBayonの天井の同じような彫刻を見せつつ説明してくれる。
この一帯は聖域となっていて山門からこっちは土足厳禁でバイタクに文句を言われて靴下でうろつくはめになった。
他にもいろいろあるが帰国後検証しようとは思うがポストアンコールかもしれない。
眺めは良いが乾季の砂埃や野焼き、実は日本よりひどいPM2.5で霞んでてコーケーまで見渡したかったが無理である。
しかも聖域ということで弁当広げて食べてはいけない雰囲気である。絶壁は二段になってて寺の下のステップ、というか結構広いがそこには崖沿いに山道がありーたぶんSankom Thmeiからの山道と思うがー開けていてここで食べると気持ちがよいかもしれない。

最初の寺に戻って食うことにし最後の滝に行く。
わたくしを乗せたバイタクのにいちゃんは気がよくこちらが言うことを察して動いてくれる。途中橋は自分で渡って写真撮ったりして滝の入り口ーほとんど最初の寺の近くで、今の所カンボジアでも1、2を争う落差を誇るTama water fallであった。が入り口から急坂を下らないといけない。
てことは帰りは登らないといけない。幸い50Mほどで、乾季ゆえ干上がった川滝の真上に着くが危ない。ストンと切れている。滝下に恐る恐るiPhoneを突き出して下を撮り退散する。
それにしてもゴミだらけで雨季や4月の正月にはいっぱい人が来ると言う。
天下の奇景も台無しである。
登りは階段と違う筋肉のためかそうくたびれずに坂を登る。
寺に戻ってバイタクに金を払うがガイド氏を乗せた方ががめつく滝は別料金という。最初から込みで交渉したはずだが。
と言ってもたかが知れてりので払うが腹立たしい。木陰で弁当を食べ引き上げて253段の緩やかな石段を降りたらわたくしを乗せたバイタクのにいちゃんがいて挨拶して別れる。

と階段への森の道で道端のKokyの大木など撮影してたらそのにいちゃんがやってきて大階段までただで送ってくれた。嫌な奴もいればこう言ういい子もいるのが救われた気分になる。最初に階段の上で止まってたバイクだったので、階段の前の売店の横にバイクを置いて、にいちゃんは階段も一緒に降りたが、今度はわたくしの大腿四頭筋がガクガクつり痙攣し始め情け無い。よぼよぼと四阿については休んでいるとにいちゃんは走って降りていった。
やっとの思いで麓に着き出発する。
本当に情けない。

Phnom Preah Lean 足はガクガク歩くとつり激痛であるのに今までいつでもいけるとたかをククっていたこの遺跡に登るはめに。心許ない木の階段を生まれたての子鹿のような歩様の子豚のおっさんが登っていきます。
遺跡自体はグーグルマップでも出てくるほどのものなのだが東の麓がPrasat Trapeang Kuk とこの遺跡の付属に大きい池があるのでこれらを全体的に見ないとわからないだろう。
また山上はここも砂岩で石を切ろうとしたノミ跡も見れた。なぜか池へと降りる東ではなく歩道である南斜面でアンコール期の黒釉の陶片を見出す。ガイド氏になんで前Prasat Kuk来たとき寄らなかったの?と聞かれて正直あの当時場所に自信なかったのだが(今や入り口に看板まで出てる始末)、道沿いでいつでも来れるしまあいいかと思ってたと言っておく。が、それ以外にも遺跡が多くいつでもここ通りかかると思っていたのは事実で、そういう御座なりさはいかんともしがたい。

Prasat Krapuon Chhuk
これは道端で看板もあり整備されている。Bayon の病院であるが池の石垣が残る。主祠堂は西に傾いているが保存はよく四方の扉が開いている中は。コンクリートで床が固められ仏像が祀られ地元の夫婦が祈りにきたのでしばし待つ。
その後若いにいちゃん二人がバイクで来て自撮りしながら外周壁によじ登っていた。それを見つつコンポントムへ向かう。

この道は2004年コンポントムから大プリアカーンに行けるとその時の旅行会社に適当なことを言われ途中で到底無理で引き返した道で今や舗装されたハイウェイのようであるがかつては山の尖った石だらけの悪路だった。
感慨深く思ううちに
コンポントムについて、今やカンボジアのあちこちにできたタイのPtt で給油すると言うので必ずセットであるAmazon コーヒーでコーヒーを全員で飲む。2011年タイをちょっと車でうろついた時のことを思い出しまた感慨深く、あの頃と隔世の感があることを実感する。去年行った食堂に行くがメニューが少なく注文と別のものが出てきたりし、味も今一つでがっくりしたが、昨年泊まった安いゲストハウスに泊まり、そのおかげで自動でWi-Fiがつながるのみてまあ一息つけた。