カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

クメール古代都市イーシャナプラの研究 について

ちょっとラテライトをレンガ状に積み重ねた祠堂構造について、

いろいろ探してみましたが、下田博士の学位論文、その本文55PのM12サイトにある盗掘された祠堂基礎の部分の画像みると基礎のラテライトがレンガ大の大きさの積み重ねでできていますね。

参考文献:クメール古代都市イーシャナプラの研究
下田一太、2010 早稲田大学 学位論文

PDF版は公開されていましてありがたいことです。

サンボ―プレイクックのある
イシャーナプラのほぼすべての遺跡、遺構調査したとんでもない力作ですが、

Prasat Phneah Snach 
イメージ 1

が、
載っておりません。
はて?

この近辺、「地球の歩き方アンコールワットカンボジア」のサンボ―プレイクックの項目の、2018-19年版で言うと102ページの地図に、こことともになぜか記されているもう一つの遺跡であるところのPrasat Knni Shai、早稲田でいうところのM.059は、Kuni Shaiとして論文の表などにも載っております。

が、地球の歩き方の地図に両方とも載っているというのに、
しかも建築学的にはこちらの方が圧倒的にとても重要と素人目にもわかる、このラテライトをレンガ状にして積み上げたユニークな遺跡Prasat Phnea Snachが、下田論文には載っておりません。

念のためサンボープレイクックの遺跡地図を確認してみますと、地図は地球の歩き方と同じ配置で、このPhnea SnachとKhni Shaiの両遺跡が載っております。

歩き方はともかく(でも初期は西バライやロリュオス付近の遺跡でお世話になりましたわ)。遺跡地図に載ってるようなところが、このイシャーナプラを網羅した論文には見当たらない?

そんなはずはあろうか。

残念ながら上記にリンクしたPDF版にはついておりませんが、製本版には本文のあと、
すべての遺跡、早稲田独自のMマウンドと思ってたらモニュメント、のナンバー毎の、写真つきの紹介目録が載っております。

位置情報については
本文57P~ あたりに表がありますのでこれでも事足りますが、製本版には衛星写真にすべてのマウンドを
記した地図も付いております。

これだけでもとんでもな価値がある本ですが。

で、それを見てみますと。
どうもM.059Kuni Shaiが、わたくしのみたところPrasat Phnea Snachであるようです。

記載されているこのKuni Shaiの位置情報を確かめますと。


でグーグルマップで検索できますのでやりますと、わたくしがポインティングしたPhnea Snachにほぼ重なりました。
記されている重要度は、中心から外れていて壊れまくっている割には5段階で3と高く、ラテライトでできていると特記されているように
下田先生も注目はされていたようです。

ともあれ、場所についてはここでよかったようですが、となると本当のKhni Shaiはどこにあるのか?

地図上は候補となる道の反対側、西北西には名もなきマウンドである、M.058があり、その写真はレンガの瓦礫が
わたくしが見たよりは多いもののわずかに載っているのみで、小さなレンガ建造物があった
と記されているのみですが、
場所は
12°52'55.7"N 105°01'30.3"E

わたくしが見てた場所からわずか20m弱南東を示しております。

わたくしが推定した、それよりも池の北東にある森は特に何もなさそうです。

ということでこの場所がKuni Shaiということになりそうです。

まあ村人からの聞き取りの過程で名前の入れ替わりや、情報伝達過程などでこういうこともあるだろう、という程度の話ですが、

問題はそれよりも、

このラテライトをレンガ状にした遺跡がとりあえず、他にこのサンボープレイクック、というよりイシャーナプラ界隈に存在するかどうかです。

しかし、ざっと論文の目録を見たところほかに見当たらないようです。

目録は英語で書かれていますのでBlockとBrickの違いだけで判断してますが。

最初に立ち返って、基礎の部分がラテライトをレンガ状にしたものでできているというM12サイトを見て見ますと、

まあここはすなわちPrasat Rong Chambak N24、下田論文では
Anrong Chambakと 今はまた地元名で変わってしまってグーグルマップに載っている程度には、興味を持った人が訪れるような観光ルートになっている遺跡ですが、ストリートビューなどで見てもわかりませんね。

というかここ、それなりに残っているレンガ塔一つで、他に遺構がなさそうというか、ないと下田論文自体にも書いているのだが。

どうなってるのか?

下田論文P56の 

写真1-4 盗掘遺構の一例として M12サイト(壁体の煉瓦積み下方にラテライト積みが認められる)

とありますがそのような遺構はないはずで、しばらく頭をひねりましたが。

それもそのはず。
その写真は製本版目録を見ていくとM.093-1に同じ写真が載っておるではないですか。
じゃそのM.093はどこかと
そこに記されている場所
12°52'22"N 105°01'19"Eを見て見ますと。

M.093-1 場所的には遺跡地図ではThkas Groupという遺構群のものではないですかね。

・・・まあわたくしはアカデミックにやってるわけじゃないので別にいいんですがw

実見してたしかめてこようと思います。雨季はまた水に浸かったりになりそうで行きたくないですが。


本日のまとめ

学位論文とはいえ充実した下田論文でも、というかどんな本でも、これをいったらおしまいだがわたくしのいう寝言も含めて、すべて鵜呑みにするといろいろ間違えることになるでしょう。

おまけ

もしかしたらわたくしは2004年にここらへんうろついていたかもしれません。

地元の子供たちに連れまわされて、というかPrasatに連れて行ってと頼んだら、どんどん、ここらへん、Prasat Tamonも含めて歩き回って、当時は容量も少なくカメラも安物ですがこの近辺数枚写真を撮っておりました。すっかり忘れておりました。

その中の一枚
イメージ 2

わたくし、ひいては地元のお子様に連れまわされて辟易している当時のガイドさんの足が写ってますが、ラテライトの石材と足の大きさとを比較すると、なんとまあレンガ大のようです。

うーんどこで撮ったのか、まったく記憶にございませんwww



他の参考文献
1.地球の歩き方編集室 「地球の歩き方 アンコールワットカンボジア 2018-2019年版」  ダイヤモンド社.2017年

ちなみに毎年持って行ってたがほとんど使わないw珍しく見たのがサンボープレイクックの遺跡の地図の、マイナーな部分のみという。。
2.Bruguier,B et Lacroix,J."Sambor Prei Kuk et le bassin du Tonlé Sap"Guide archéologique du Cambodge TomeⅡ. Les editions du Patrimoine 2011
3."Carte Archéologique du Cambodge GROUP DU SAMBOR PREI KUK",カンボジア芸術文化省、EFEO,2007,