カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

年年歳歳

連休明けからヤフーブログの引っ越し作業が開始されるようですけど、
とりあえず記事はFc2に避難させてますので、そこからどこでも移動できる体制にはなっております。
ブログのHPのデータ自体も保存は終わりました。
残してどうするもんでもないですが。

画像が小さくなってるのが残念ですがもともとピンボケだらけでいい絵はないのでまあしょうがないでしょう。


この4月でいろいろあった平成時代も終わりになり、令和となってどうなるのか、いい時代になればよいですが。

本当なら日本で心静かに歴史の移り変わりを感じるのも一興でしょうが、せっかくの10連休ですので
また今晩よりカンボジアにちょっと行ってきます。

とはいえ暑そうですし雨季も始まっているようなので今回は本当にお手頃な旅程でゆっくりして来ようと思います。
それと非公開にしてましたが、3月の日本人によるカンボジアのドライバー殺害事件は本当に憤りを覚えますが、それでも日本に好意的なカンボジアの人々を日本人としてがっかりさせないように行動したいと思います。こういうことなどわざわざ書くまでもなく当たり前のことでしかないんですけどね。


メコン右岸のクラチェの遺構、まああまり目立つものではないですが、などみて、あとは2月のおさらいみたいな感じです。コンポンチャムでみた石積みのマウンド群がラタナキリのそれ同様、古代の墓地なのか手掛かりをつかめたらいいかなと思います。

この1,2年いろいろありましたが、カンボジア関係ではC.Jaques氏やM.Vichery氏といった学者さんが2017年に亡くなり、多少世話になったIKTTの森本さんも亡くなられ、と歳歳年年人同じからず、世の無常を覚えますが、とうとうCISARKさんも消滅してしまったようで、それに代わるような遺跡のデータベース構築の動きもないようです。ただ西欧の歴史学者がなくなられる一方で、カンボジアの研究者が続々と出てきているのは頼もしい限りです。まあ仏教と政治でバイアスがかかってしまう嫌いはありますが。

わたくしが訪れた遺跡は全遺跡のうちの5%弱でしょうけど、ヤフーブログもなくなりデータは保存しましたが、ブログ形式で書くのも散文的に過ぎるのでやはり私的なものでしかないですがwiki形式でまとめようかなと思っております。まあ風呂敷だけ広げて中身を入れないいつものパターンになると思いますが。

500か所くらいでもまとめられたらまあ体裁は整うのではなかろうかと思いますが、もはや形骸化したCIASARKナンバーは採用しないほうがよさそうですね。

まあ旅行しながら思案しようと思いますが。

とりあえずFC2にも転写はしますが、今回の旅の記録まではこっちで書いて行くことにしました。
帰国してFC2、もしくは移転先で続けようと思いますが。