カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

4月27日

今回もやや風邪気味ですがやってきました。羽田の国内ー国際線乗り継ぎの移動に航空券とパスポートがあればモノレール、京急ともただで移動できるとか田舎者にもわかりやすく掲示して欲しいもんですがモノレール利用したらすし詰めのシャトルバスより楽ですね。もう少し宣伝してほしいもんです。

地元から荷物カンボジアに行くようになって便利ですが、もらった封筒に書いてあったのに気づかず荷物の引き継ぎの連絡もしなかったけど無事シェムリアプに着いてて一安心。それより今回は3年のマルチビザを取りました。2月は日本人限定措置らしかったけど今もでしょうかね。
シェムリアプではプノンペンみたいにモニターで宣伝もしてなかったのでダメ元でアプリケーションで申し出たらお前は3年も観光するのかと言われたものの、日本人マルチビザ3年、と壊れた機械のように繰り返してたらちゃんとあるから金出せと。80ドルなので年一回行ったら割安になりますね。
なんかこのマルチビザの偉大なところはお前は何回もカンボジアに来るのか?と聞かれて
プロピークニョムチョールチェットカンプチアと言えばビザの係官も通関の係官もニッコニコでフレンドリーに話してくれると言うところでしょうね。
それはともかく雨季の始まりというのにカラカラで40度近い天候で去年の涼しさが懐かしくなりつついつものガイド氏、運転手氏、旅行会社のS氏と合流してsim カード買って移動。
3月の日本人によるカンボジアの運転手強殺事件の影響などきいて本当に許しがたいですが、
原理の日本人のみなさんは23日に朝日の記事で上がってたように、きちんと襟を正してカンボジアの人たちの信頼を損ねぬ行動されているようでした。
他にも書きたいことはありますが帰国後にします。

コンポントム州
Stoun 川に沿って。
Banteay Stoun、の南の遺構
雨が降らないつまりまだ田んぼや川沿いの遺跡に行きやすいてことで2月のやり残しのここへ。
農道を北上して途中にお堂が出来ててその北のマウンドに台座と、地面にレンガ列。
未知の遺跡だが,悗療喘罎覆里琶顕酋匹盖い鼎い討涜羣汰瓦討縫淵鵐丱螢鵐阿靴討△辰拭コンポントム州はしっかり管理してる。

Banteay Stoun この二つの遺跡は200m弱離れてともに東に向いててその東に川Stoung Stoun が流れている。
ここのレンガ塔自体はコンクリで固められて適当に建て直されたものでしかないがプレアンコールvから10世紀まで、獅子、連子窓。1976年ポルポト時代の記憶。

Vat Kompong Preah Trei Serei Thnu Kokorもしくは Banteay Stoun
川沿いに遺跡が並ぶと言うことで1、2の南東の、東へと曲がった川沿いの寺も何かあると思い行ってみたら、台座が数個あり、獅子も一点。さらに本堂内部にはバイヨン後期からポストバイヨンの仏像を彫った石柱が並んでいた。寺も遺跡に上に建てられたようだ。 しかしここのこれだけの遺物に関わらず、文化局は記録してないようである。

Vat Ponlea Chey ここはIK197.01だが遺跡の構造の上に寺が建てられているほかに特には遺物は見つけられなかった。

Vat Stein Tuolここは何も見つけられず1950年代に建てられた寺の本堂を修理工事中であった。
まだ遺跡はあるがふらっと寄っただけだし先に行かなければならないのでまた帰路に。

昼飯の時間をちょっと過ぎたがあまり食堂がないまま州都ストゥンセンまで来たので前回行ってみようと思ってたArunrasゲストハウスの食堂に行ってみた。流石に昼過ぎで並んでたおかず類は売り切れていたがハリネズミ魚とか言うのの卵のキッシュ他注文料理があるので食べる。
6号線沿いで昔からあるゲストハウスで値段もドル表記だがまあこんなもんであろう。

またコンポンチャムへと進む。
今回はやたら救急車が走り回って出くわす。
救急車が増えたのと車の事故が増えたのといろいろあるのだろうが。
そういえば最近狂犬病で亡くなった人が出てみんなワクチン接種したがりワクチンが高騰してるとのことで、犬、猫猿コウモリの接触は避けたほうが安全であろう。噛みつかれるほど接触日本の医療機関で事前にワクチン接種したほうがいいのかもしれない。

コンポンチャム州
最近分裂してトボンクモム州と二つに分かれた。去年クラチェへの途中、原野に突如現れた舗装の大通りと謎のビルは州の役所群だったらしい。今回はそっち行かないのでどうなってるのか見れないが。
Vihear Thom
Vat Anduong Svay の横の丘の石積みと遺跡
まあもしかして、と言う程度のつもりで2月にラタナキリで見た石積みの古代墓地まんまの石積みかと確認に来たわけだが、大きさがまちまちで、何より岩を割って積んであり新しい。
周りは岩を掘った穴もある。村びとに聞くと売るために掘って積んでるだけとのことでそう歴史的発見が転がってるものでもない。
のだが。
この丘の天辺にある謎の小屋は村人にとっても謎の小屋でどこからか人が来て豚の頭などを供物にして祈ったりしてたという、怪しさ満点のカルト設備だったらしいが今は祈る人もおらず放置されていて、その小屋自体は遺跡の上に建っていることはわかった。所在不明になった遺跡Vihear Thom ではなさそうだが未知の遺跡ではある。
Neak Ta Ong Mungを探しに西の湖の近くの寺の横まで来たがそんなのはないと言う。
寺の周壁のところに大岩があると壁によじ登っておばちゃんがそこだと教えてくれるが一緒によじ登ってみたがただのラテライトの岩にしか見えない。
別によじ登らなくても普通に寺に入って見てみたがやはり岩だった。

何もないので西の湖で夕照の光景でも眺めるかねえと行ってもらう。
ガイド氏がTonle 大河や湖の意味であるが、そっちへいくと言ったら運転手氏がいやトンレじゃないBoeng Thom 大池だ、と言う。
衝撃的なことにポルポト時代まさにお祖父さんだけと、ここに来て魚をとらされていたと言うのだ。波が高かった、と言うほかはあまり話も出ないので色々聞くのもアレかと思い魚たくさん取れたので食べるのは困らなかったと言うのが聞けた話一つであった。
美しい湖畔ー確かに風が強くなりお陰で涼しくなったが、波が風で立っていて夕日がきらめく、その中で漁舟で作業する漁夫のおじさんに魚やおびただしく積もる貝殻の話など聞いたりして、一見この無垢なように見える光景のこの場所にもポルポト時代の人々の苦難が地層のごとく重ねられている事に慄然となる。
運転手氏は何を思うかちらっと見たらスマホで光景を写してたりしてたが色々思うことはあるだろう。
しかし帰り際に一言笑って「アノサウリー」
思い出、とのみ言うのが沁みる。

コンポンチャムの川岸は週末で仏日というのもあるのかないのか祭りのように賑やかで2月に泊まったホテルはタイからのハーレーダヴィットソンのツーリング軍団おじさんたちに占拠されて高い部屋しかないと言う。タイからバイクで旅行とか羨ましい限りだが。高いけどここはホテルのフロントにもドリアンが売ってるという素晴らしいパラダイスであるので投宿する。
あちこち探して結局近くのカンボジアレストランで犬の舌というガイド氏の話では小さな薄い魚のはずがシェムリアプではありえない大きさとガイド氏が驚く程度には大きいらしいカレイに似た黄色い身魚の唐揚げなど食べてると身なりは小綺麗なおねえちゃんが二人物乞いにへばりつく。500リエルくれというが。しばらくしたら諦めてとなりのレストランに移動して行ったが一見普通の若い女の子見たいのが物乞いしてるのはそれはそれで驚きである。仏日だからと言うのもあるのかもしれないが。
川沿いで観光地値段という事でやや高めで、これならわたくしは好きだがガイド氏にはあっさりし過ぎて不評の名店ハオアンでいいかなあと思う。
値段が高いので安いところに泊まる二人と別れて川沿いを散策してもいいところだがこういうところが年取ったと思う事に賑わいが面倒なのと洗濯しなくてはというので早々にホテルに戻りドリアン買うか悩み明日もっといいの買えるじゃんと自重し部屋に戻って、さすがに広くて、部屋からのキズナ橋やかつて恐怖で途中で登るの諦めた灯台が電飾でデコられて光ってるのとか眺めが良いが結構痛みも激しい浴槽で洗濯などしてこれを書いておりました。