カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

四月二十八日

メコン右岸を。
いくつもの店で普通にドリアンが売ってある。
ドリアンが普通に食べられる世界にやっと我々はたどり着いたのである。

クラチェ州
Chambak
Vat Chambak or Stoeng Thom3608
一応CISARK に昔載ってて行ってみた。古そうなものは砂岩の柱の土台くらいで遺跡の痕跡もわからない。
Chrey Ampil
Tuol Chedei
近くまで行って村人に聞いたら予測した地点であっていた。高校の北隣。
墓地になっていたがプレアンコール7、8世紀のレンガ塔の跡のマウンド2基と謎の丸い大穴。
唯一墓の縁石で見つけた装飾のある石。

イメージ 1


Tuol Ta Vong 戻ってもう一つ期待を込めてここについて聞くがないという。
Tuol Ta Ong はあるというので行ってみた。
砂岩の転がる岩山の斜面のこれも墓地で山をさまようが何もなかった。べつの場所か?

次の遺跡?との位置関係を見るに遺跡地図がちょっとずれているのか?

Phnom Soporkalay IK140.03

歩道の階段は閉鎖。車で山上の寺へ。しかし何もない。
村人が家族で昼ごはんのご馳走食べていて誘われるが弁当持ってきてるので謝絶するがありがたいことである。
眺めは良いが何もない。お坊さんに遺跡について聞くとPhnom Chrei なんとかという山に土台だけ残っているといいVat Chambak で聞けば良いというので戻る。ここで寺で聞けば良かったのかもしれないが通りすがりのおじさんに聞くとないと言う。
とりあえず山はわかって道もあるので行ってみるが砂岩の転がる岩山でちょっとわからない。

が山中に新しいストゥパがありその近くの家に人がいてガイド氏が聞き取る。
遺跡はないが古いストゥパならある。が、わかりにくい。大きな菩提樹の木の下にあると言うが家の人も通りすがりの兄ちゃんも忙しいので案内ができないと言う。菩提樹があるのならとそれを目印に自力で探してみることに。
道を行くと山を回り込み最前の山の寺も見える。大きくなり小さな菩提寺は畑の中に見える。1回通り過ぎて分からないのでそこの菩提樹のところにも行ってみる。しかしみたところ何もないので一旦村のほうに戻る。戻るころから砂塵吹き上げる強風が強まり風景が霞んで見えなくなる。がさっきのTuol Ta Ong に出て結局狭い範囲をウロウロしてるだけではある。村に入り道端で人が何人かいたのでそのストゥーパについて尋ねるとおじさんがしってて案内してくれると言う。行ってみたら先ほどの小さな菩提樹の、そのさらに奥の池の横に古いというほどでもなく仏暦2507年のコンクリとガラス窓の仏塔があった。大風でそそくさと引き上げTuol Ta Ong に遺跡はないのかおじさんに聞くとないという。しかし自分の妹があそこの西にでるというおばけを見た写真も撮ったなどという。椰子の木くらいの背丈の人の姿してたという。カンボジア版八尺様かと思うがもっと大型のようだ。そういや昔Angkor Chum でおばけ話聞いた時も風が強かったなあと思い出す。
村に戻ろうとするとその強風のせいで倒木が何本も道に倒れている。といっても細い木ではあるが。おじさんを送Vat ChambakChambakで弁当食べるが風強い。
1箇所以外は遺跡は分からずじまいだがまあメコンに風景を見るだけでも旅情は満喫できるものである。

コンポンチャム州
去年見た中国が又メコンにかけてる橋は完成してない。

Stowng Trangに戻り近郊のプランテーション沿いの露店でドリアンを買う。しかし去年ここらで買って美味だった黄色い身のランプータンは今年は撮れてないという。異常気候のせいなのか。後で聞いた話では茘枝にせよランプータンにせよ2、3年に一度しか結果しないらしい。

Han Chey
完全復活して寄ったか忘れたので
Kok Preah Theat
風はないが小雨が残り雨の中再訪。

山を登ってレンガ塔と砂岩のアシュラムも再訪。アシュラムは本当に精緻な彫刻で何回見ても良い。

Prasat Kok Lvea 地元の人はLveaはつけない。
ハンチェイと同時期の遺跡の石材を10世紀に適当に再利用したため碑文が門扉の天に、しかも切断されてるのに今回気づき遺憾である。
碑文見てたら地元の子供が一部タバコくわえてやってきて碑文をのぞいたりする。横のマンゴーの木の実を登ったり棒切れ投げて落としたりしtしている。やっと当てて取れたのを見て去る。
日曜だがちょっと降った雨と仏日でもなくなったせいか川岸は閑散としていて灯台も電飾は消えて絆橋のライトアップだけが光っているが
竹の橋は街灯がついてるようで明るい。
明日の予定何も考えてないと思いつつ寝てしまった。