カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

令和元年五月三日

今回はマルチビザを取ってみたので出入国どんな塩梅か実験してみたくなります。
タイに行ってみることに。
だがその前にトラブル続きである。
前日に朝7時に出発したいというと車の調子が悪いので整備工場が開く7時半にしてくれという。
普通ならこの時点で旅行会社に連絡して車手配し直すのが筋であるがこちらも運転手氏の車であちこち行ってもらっていて情けをかけたのが間違いだった。
朝聞くと車が故障してるという。動いちゃいるがアラートランプが点きっぱなしである。
整備工場に着くと修理が必要という。運転手氏が仲間を代わりに呼ぶというのは良いがガイド氏も旅行会社に連絡しようとしない。
報連相は基本である。電話してもらいひとしきり経緯を説明してこれはわたくしに限った問題じゃなく今後のため注意してもらう。ガイド氏も恐縮してたが問題を自分達だけで解決しようとするのはいいが会社で受けた仕事なので会社に報告するようにしてくれるよう頼む。
代わりの車が来るまで1時間半ほどのロスである。代わりの運転手氏はかなり飛ばしてくれいい感じで進む。途中からLvea の近くでここが三月の事件現場という。
全然シェムリアプ近郊で往来も多いのになんでこんなところであんな凶行に及んだのか思慮の浅さに呆れる。死刑廃止の国だが厳罰に処されて然るべきである。

調子よく走っていたが今度はパンクである。
運転手氏2のレンチがしょぼく飴のように曲がる。横の店のあんちゃんに頼んで近くの修理工場に十字レンチを借りに行ったが外しても直らないので結局タイヤをまたあんちゃんと運んでいった。しょうがないので店でカラバオドリンクでも飲んでやっと修理が終わり50分ロス。
何か抗いがたい運命がわたくしのタイ行きを拒んでいるのか?
本来なら10時過ぎには着いていたであろう国境のカオスの街ポイペトに昼前に着く。これはすなわち朝シェムリアプを出た国際バスの集団と重なるということである。胡散臭い輩がビザ持ってますかなど声かけてくるが全て無視するべきである。
それはいいがカンボジアの出国はまだマシだったがタイの入国は大行列である。ちなみに悪名高いカンボジアの通関も指紋照合で無事終わったらサムアップしたりと普通でフレンドリーだった。タイの通関はエアコンも効いてて寒いくらいであるが、
かましい杖をついたばあさんが列を割り込み柵を擦り抜けていく。後ろのクメール人の女の子がクロマーを巻いてたわたくしをクメール人と思ったのかわたくしにくっついて税関指差してなんか言って笑うがさっぱりである。1時間近く並んでやっとタイに入国できた。昼過ぎて時間が大幅に押している。
銀行でいくらか下ろしてガイド氏に飯食う時間はないのでセブン(11)でおにぎりとパンを買って車を探すがいない。のでトゥクトゥクのおじさんに頼む。
Sdok Kak Thom
Vat Aranyakaram
Vat Khao Noi で真ん中以外は知っていた。
値段交渉する時間ももったいないので言い値で頼む。言い値で頼むと多少の無理が通じることもある。
トゥクトゥクに乗ってカンボジア人のガイド氏にコンビニおにぎりの開け方を指南しつつ食べるのも乙なもんである。
途中遺跡の丘やNing kuと言った寄って見たかった遺跡をすっ飛ばし50分ほどで公園と化した
1.. Prasat Sdok Kak Thom に着く。
まあなかなか機会もなく来れなかったのでよかった。
が、なんかタイの修復は違うそうじゃないというところが拭えない。装飾も単調で途中でなんか飽きてきた。
とガイド氏が一人はカンボジアの高校の制服を着た女の子二人組に話しかけているがカンボジアでもインスタが流行ってるのか自撮りに忙しく増しておっさんに話しかけられてうざそうである。がやっと聞き出しとところによるとなんとカンボジアの国境の村Ou Ba Choanから越境してバイクで来たという。学生は学生証で痛感できるという。カンボジア人は身分証明証を持っているのでそれで越境してこれるというのだ。
実際越境はポイぺトなんかより他のボーダーの方が楽であるが、越した先の交通手段の確保が困難であるのがネックだがカンボジアの人は気軽にこのカンボジアの歴史に重要な碑文が出土した遺跡に来れるということである。
翻ってカンボジアはまだPreah Vihear をタイに開放していない。

ぐるぐる回ってる間に主祠堂にタイ人の家族が上って行った。待ってたがなかなか降りてこないのでいくと中にいた若い女性がジャパン?と声かけてくる。
イープンと答えるとえらく親しげに話してくる。カメラマンかと聞かれるので違うというとホリデー?と聞かれる。今日本は10連休というと、ああニューエンペラー!という。
タイのこんな田舎にいる人でも新帝御即位を嘉してくれるものである。
話してたらお父さんと思しき人がわたくしと記念撮影するという。女性が日本語でハイチーズと言ってお父さんとわたくしをお父さんのスマホで撮る。どこの誰ともわからない日本のおっさん撮ってもなんてことないだろうが喜んでくれるなら何よりである。
というかタイでも日本人てだけでこんなに親しく接してくれるのがありがたい。日本語でありがとうさようならというのでタイ語で挨拶お返ししといた。バライを見て
トゥクトゥクに戻って頼んでおいた
2.Vat Aranyakaramに寄ってもらう。
ここはタイのクメール遺跡を網羅されているKK様ブログを参考にさせていただいてたのでわかった。まあ通り道にある。
遺跡の痕跡はないが二つに割れたアンコール期のリンテルなど石材が少々残る程度である。

それより今回のむしろメインは
3.Prasat Khao Noiである。
西にも遺跡二つあるが時間が厳しい。
Vat Khao Noiについて階段を上るが息切れ気味で情けない。双耳峰で二つピークがあり勘で西の方に登ったらそこだった。
驚くべきことにタイまで来てまたサンボープレイクック様式を10世紀ラージェンドラヴァルマン2世のリコンストラクションである。
SPK様式のリンテルが北祠堂に4点。
予備知識なくレンガ塔とのみ知ってたが不思議なもんである。が雨が降り出し、すぐに
雷雨が激しい。雷光から雷鳴までの時間数えながらびしょ濡れで撮影してたがとうとうピカっと光ってどドンとなるまで1秒弱で危ない。慌てて逃げ出す。木の下に移動しつつ階段を降り最前の分岐の広場の祠に逃げ込む。
高僧の像を祀った祠に祈りを捧げると自分でも不思議なことに雷がピタッと止まった。御礼を言って山を降りた。
雨が激しいがアランヤプラテート に近づくにつれ雨は降っておらず局所豪雨はタイも同じようだ。国境の駐車場までなんだかんだきっちり送ってくれた運転手に礼を言ってカンボジアに戻る。
怪しげな偽オフィスがあり看板も信用できないが脇芽も触れずパスポートコントロールに向かい行きと違って閑散としてカンボジア人のガイド氏はすぐ抜け、わたくしは過去のビザが多くジロジロ見られて時間かかるがそこまでではなく無事カンボジアに戻りホッとする。カジノホテルの高層ビルが怪しげなネオンを煌めかせるころやっとシェムリアプに向けて戻る。
3時間弱で戻ってこれて運転手氏に感謝する。

アランヤプラテート でレンタカー乗り捨てられるならまたバンコクから車で遺跡見ながらやってきてもいいかもしれない。今はグーグルマップで迷うこともないしいいかもしれない。