カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

令和元年五月四日

シェムリアプ州
車も直ったので気を取り直して出発である。
旅行会社のS氏が詫びに来ててかえって恐縮である。昨日の一件はカンボジアでスケジュール通りいかないことなんて当たり前なのでそれより報連相がないとS氏たちも知らない間に対応できないままアクシデントに遭うリスクを恐れている旨つたえ、
ついでに見てくれだけでサービス、設備があかん宿のこともディスっておいたがカンボジアに限らず宿のトラブルは遠慮なく言った方がいいかもしれない。

バルスピアンの南東クーレン山の南西にその山塊が割れてできたような山Phnom Hap へ。
麓の寺への看板があり道は分かりやすい。

1.北から東側の山道を行くが途中台座や石材を置いた祠があり慌てて止まってもらう。
ここは山の北東(訂正)の麓で目指す遺跡は南西(訂正)の山頂である。距離があり間にお寺がある。わざわざこんな叢に山頂から運んで建てておく意味も労力もない。盗掘して運んだ途中にしてもただの石材もあるのはおかしい。
コンクリートの土台に仏暦仏暦2559年 西暦2016年に造ったとのみ書いてある。
人が全くいないので事情がわからないがこれは
近くの未登録の遺跡から来た可能性がある。
がブッシュがひどく棘だらけであまり調べられなかった。
麓のVat Hap 別名もあるが忘れたーに着く。
登山口を聞くと大きな猿が一頭いて悠々としている。野生とのことだがはぐれザルか?
階段を登ってはあはあ言って中腹の仏堂や民間薬の木を集めている広場に出る。
そこからは山道で急登でありすぐ休憩する。
10分ほど座り込んで再開する。
しばらく行くと奇岩が連なりそれを見ながら山を東から南下して巻いていく。
奇景に圧倒される。岩の絶壁の下の洞穴に祠があり柱状の石材ーこれは持ってきたのだろうーがある。住み込みの修行場があるが誰もいない。少し下ると岩からの湧き水を集める大きめの水汲み場があったが雨季に入っても全く雨がなく干上がっていた。ここから山頂へは西へ直線距離なら100m強だが岩をよじ登らないといけないようだ。
数ヶ月前グーグルマップに上げてるカンボジアの人は奥さんと登ってて中年のロッククライミングしてなさそうなおばちゃんでも登って降りてるから行けなくはないと思いたい。
でその崖に着くとなんとありがたいことにコンクリで鉄の手すり付きの階段が出来ている。
これで転落事故のリスクは減った。それにしても短い期間によく造ったものである。階段を登って終わりではないが木々が倒れている山道を登ると山頂のレンガ塔が見えて一安心である。
2.Prasat Phnom Hap
上は壊れて壁だけだが中にヨニと、新しいリンガが東向きに置かれている。あまり装飾はなくシンプルな構造であるが、こんな岩山の山上にまで寺院を建てる苦労は大変なものだったろう。時代はクーレン山のそれらと同じかどうか?
ここも小屋と墓があるが水もなく無人である。遺跡の北に山道があるので言ってみると西に展望が開けた岩があり絶景であるが一番先の岩まで行く勇気はなく二番目の岩に飛び乗る。眺めがいいがなんかユラっとした気がして慌てて戻る。
浮き岩てことはないだろうが年取って平衡感覚がおかしくなって、それと地震以降ちょっとのことで揺れてる錯覚が続くので無理は禁物である。
山頂も砂岩だが石切場はなさそうだった。
下って道だ別れて間違えたかと思ってたら階段に出て下りは、登る際には息切らして下向いてて気づかなかった大岩の風景に感嘆させられる。
わたくしよりガイド氏が喜んでいる。
なんとか中腹の仏堂と薬の木を集めているところに行きガイド氏が安い安いと大量に煎じて飲む薬木のかけらを買いまくる。近所にも配るとのことである。
ふもとの寺に着いたら昼の弁当準備してきたという。バンテアイスレイあたりで食べるかと思ってたがありがたい。
運転手氏がドラえもんの柄のハンモックを吊ってくれてた。風が快い。もうのんびりするかという誘惑に駆られるが出発である。
本当にいいところだったがお寺の人に未知の遺跡について聞くのを忘れた。
3. Prasat To
昔教えてもらって行ったかもしれないが再訪?
東バライの取水口に来たのでここも寄ってるような気がする。
ラテライトのバイヨン時代の寺院で変則的である。
そのまま東進してPhnom Bok の周りの遺跡へ。
4.Prasat Trapeang Chambak 位置を同定できておらず至近の民家のおばちゃんに遺跡に行くというとああそこと山に向かって指差す。
いやプノンボックじゃないんだがと気にもとめず名前の通り池トラペアンの方をさまう。
がどこにもない。藪の中で陶片土器片を見つけもういいかと引き上げて路上に出たらガイド氏があれと指差す。
道路の反対側にレンガ塔が見えた。
最初おばちゃんはこれを指差して教えてくれてたのだった。
レンガ塔は崩壊してレンガも土塊になり埋もれて、入り口の石枠が残り盗掘されているがちょうど一年前に書いたGajendra Moksha がモチーフのレアなリンテルがほぼ完形で落ちていた。

5.Vat Chey-?
名前は忘れたが遺跡ということで。
壊れ切ったレンガ塔の残欠と星辰を彫った石版。北斗7星というか6星と北極星中心のようである。

6.タニ陶磁博物館 係の人がとっとと帰る寸前に到着して開けてもらう。
看板の壺はどう見てもこのタニのものではなくSo Sai 窯のものであるがまとめて展示したかったのだろう。ソーサイもそんなに遠くないので行ってみようと思い移動する。tちなみにチケットの通しナンバーが55だったので客が来るのか聞くと一月に5、6人とのことだった。
Phum Snay にしろ日本は作った後のフォローはしてるのか?発掘調査終わって進展ないのはどうなのか?とも思うが事情もあるのだろう。

7..Prasat Banteay Kchong だが次に寄ったこの遺跡が素晴らしすぎた。
前部 前衛 4列の経蔵と連子窓を持った?回廊の原型となる更衣所、真ん中の隔壁とレンガの楼門。さらに南北の経蔵。前室を持つ主祠堂と南北祠堂。
ここまでplanがはっきりしているのは珍しい。
Banteay Preau に似ていて、あるいはもしかするとPrasat Chamresh にも類似しているのかもしれない。
写真撮ってたら子供が二人やってきて弟の方がカメラに割り込んでくる。しょうがないのでとって上げてたら母親が来てAPSARA の管理人してるとのことでこんな辺鄙なところでもいるのはいいことである。こっちは一月に一人来る程度とのことだった。外周壁北東で陶片少々。

写真撮ってたら夕暮れになりソーサイ窯はどうせ破壊されてるらしいのでまた今度にする。

帰りにチャウスレイヴィボールの横通ると道が広く舗装されていてあっという間に通り過ぎて隔世の感がると何度でも思うが。この分だとバンテアイアンピルも楽勝であろうか。